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「視るという病〜江戸川乱歩「押絵と旅する男」論〜」 松浦綾夫


 「押絵と旅する男」(1929)を読んでいて、おもしろい発見をいくつかした。
 ひとつは江戸川乱歩という作家の視覚・映像への異常なこだわりである。
 もうひとつは乱歩がこの短編で選んだ浅草という場所の意味づけである。浅草の地誌については、同じ頃のもうひとつの聖地・靖国とその地を描いた内田百けん(けんは門がまえに月)を対比させながら論じるとおもしろいのだが、ここではふれない。


 「押絵と旅する男」は夢かうつつかわからなまま旅の記憶を語る男が主人公である。富山の魚津に蜃気楼を見たかえりの列車で、窓外を見せるように押絵をおく老人から、怪異をきくスタイルをとっている。あやかしの世界へいざなうのに、出だしの蜃気楼の描写は効果的である。

 蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空にうつし出したようなものであった。 

 遠方の景色が眼前にぼーっと拡大して投影される錯視の世界。この導入部分から、すでに主人公はものを視ることの妄執にとらわれている。
 話の筋の奇妙さもさることながら、この小説ではくりかえし視ること自体が問われる。
 主人公が芝居の濡れ場にも似た押絵細工の男女に「生きた瞬間の人形を、命の逃げ出す隙を与えず、とっさのあいだに、そのまま板にはりつけたという感じ」(瞬間性を永遠性に転じたような印象)をうけとっていること。
 老人の兄が浅草十二階塔から眼下を見下ろし、美しい女を発見し、ひとめぼれするのは、遠目がねを覗いているときであること。
 十二階塔のなかには日清戦争の勝利を記念した油絵がパノラマ館のように陳列されていたこと。
 老人が兄を遠めがねで逆さに覗きこんだ結果、恋うる女のいた押絵のなかに吸いこまれ、今なお生きつづけているということ……。
 蜃気楼にはじまり、視る側、視られる側をひっくりかえすことで、世界が反転するように閉じる物語。それは子どもの頃、私たちがこの老人と同じく双眼鏡を逆さにして風景をのぞくときの胸のざわざわする感じや、二枚の手鏡を向きあわせたときのおかしな気持ちの延長にある、じかに目で視て認識される現実と間接的な道具をつかって映る現実(仮象)との裂け目、違和を表明したものなのだ。
 視ることの病。江戸川乱歩の作品を展観するとき、こうしたテーマが伏流していることはまちがいない。
 「押絵と旅する男」をさかのぼる少し前、「鏡地獄」(1925)はいっそう視ることに憑かれた男を主人公にしている。幼い頃から「幻灯器械だとか、遠目がねだとか、虫目がねだとか、そのほかそれに類した将門目がね、万華鏡、眼に当てると人物や道具などが、細長くなったり、平たくなったりする、プリズムのおもちゃだとか」にばかり興味をもつ風変わりな男。天体観測もすれば、潜望鏡で隣人の生活を覗き、顕微鏡で蚤の世界を観察し、あげくには部屋全体を万華鏡や「凹面鏡、凸面鏡、波型鏡、筒型鏡の洪水」にしたり……最後は自らを全面鏡張りの球体のなかに閉じこめ、発狂する。
 おなじような妄執は「パノラマ島奇談」(1926)にも見られる。三重県伊勢湾近辺の小島に(作中ではM県、I湾となっている)自分の夢を現実化したパノラマ、ジオラマ島を建設した狂人の物語である。ここではガラスのトンネルの向こうに広がる海底水族館、大谿谷や大森林が次々と展開するが、それらはすべて周囲を低い壁で囲われ、細密な絵が施されたパノラマ館の複合体としてつくられている。すべての美の嗜好を再現しえた狂人は自らを花火とともに打ち上げ、五体を飛散させて絶命する。乱歩はほとんど同じような内容を小説「地獄風景」(1933)でも書いている。
 視るということ。ちょうどヒッチコックの映画「裏窓」が、たまたま隣家の殺人事件を目撃したことから起きた悲劇だったように、あらゆる犯罪は視ることから始まる。明智小五郎が初めて登場する「D坂の殺人事件」(1924)もまた、密室殺人を視た目撃者たちによる、犯人の着衣の色柄をめぐる証言がくいちがう、まさに視ることの差異をテーマのひとつにしていた。
 「屋根裏の散歩者」(1924)は新築の下宿旅館に住む主人公がこっそり屋根裏を歩いて、日常とは異なる下宿人たちの本性、さらけだした姿を盗み見ることに異常な興奮をおぼえるというところから始まる。

 ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見おろすのですから、この、眼の角度の相違によって、あたり前の座敷が、ずいぶん異様な景色に感じられます。

 水平から視る室内を垂直に視るおかしさを味わった主人公は、やがて、この垂直性を利用した殺人を思いつき、実行に移す。
 乱歩はなぜこれほど視覚にこだわったのだろうか。
 作者自らが「変態もの」と卑下する「盲獣」(1933)には作中「触覚芸術論」という奇妙な学説が登場する。生きた人間をバラバラに切り刻むことで快楽を得て、やがて彫刻までつくってしまう盲人を描いたこの小説では、「視る」ことではなく、「さわる」ことの快が書かれている。ちょうど椅子職人が閨秀作家の椅子にもぐりこみ、その肉感を味わいながら恋文をしたためた「人間椅子」(1924)のように。
 乱歩の語る「視覚芸術論」がよみたいところだが、それは言わずもがなのことだったのかもしれない。
 1894年生まれの乱歩の青春期とはパノラマ館や映画館が広まり、それまで体験したことのなかった映像・視覚体験が、日本にはじめてもたらされた時代だった。暗闇のスクリーンに投影される映画やそのプロトタイプともいうべき幻灯機があやなす世界こそ、虚実入り混じった、あやしく淫靡な犯罪のにおいがするものだった。だまし絵的な小屋がけに巨大な絵画や細密画をおき、擬似的な世界旅行や名所めぐり味わうことのできるパノラマ館もまた、あやかしの手妻という意味では乱歩の好むところだった。
 乱歩はこうしたすでに実現化されていった視覚芸術の先をゆく、あたまのなかでのみ像を結びうるフィクションとしての「鏡地獄」や「パノラマ島奇談」や「押絵と旅する男」を書いたにちがいない。
 明治期につくられた日本の洋館を訪ねると、窓ガラスに不均一なゆがみが生じ、外の景色がはっきりしないことがある。「鏡地獄」には発狂した男が庭にガラス工場をつくり、さまざまなガラスをつくらせるが、作品のかかれた「大正十五年当時は、鏡用の良質の厚い磨板ガラスはすべて輸入に頼っていた(中略)「鏡地獄のさまざまな装置は実際には建設は不可能だったと思われる」。乱歩の小説と1920年代の都市論をかさねた評論「乱歩と東京」で松山巌はこう書いている。
 乱歩は現実の先をいっている。
 たとえばフェルメールの絵画が当時最新の機器だったカメラ・オブ・スキュラ(暗箱)をもちいたことで、画面にふしぎな光輝をもたらし、連続した動作が静的な一瞬間を、まるで映画フィルムの一コマをかきおとし定着させたように、テクノロジーは芸術にハードとソフト両面の緊張関係をもたらし、進歩をうながす。
 乱歩は映画や万華鏡といった、新奇な光学体系が輸入された時代を生きていた。それを凌駕する視覚体験を、文章をもちいて読者の脳内に結実させようとした。
 「押絵と旅する男」はそんな視ることをめぐる乱歩文学のひとつの極なのである。