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アンドレ・ブルトン『ナジャ』について 内海惟人

老いた耽美家にして、キリストの頭をしたえせ革命家、雄牛のブルトンここに眠る。口いっぱいにきれいごとを頬張った男は、人間ではなく牛だ。坊主だ。さもなければ、名づけようもない生き物、髪ぼうぼうの痰壺頭の動物、去勢されたライオンだ。――G・バタイユ


 アンドレ・ブルトン――シュルレアリスムの法王として数多くのシュルレアリストと呼ばれる人びとの中でも飛び抜けて威厳と知性を持ちあわせた存在であり、彼なしにシュルレアリスム運動はあり得なかった。「ナジャ」に始まる彼の散文(小説)も彼自身の性格や考え方がそのまま反映されている特異なものだ。


 『ナジャ』はその中心的な内容を一九二六年の一〇月に起こった出来事に置いているが、そこへ至るまでの背景、状況というものに実に多くの説明をさいている。それはあたかも事情に通じている知己を目の前にして語っているかのように書かれ、『ナジャ』を読んで我々がまず当惑するのは、それが一見物語に関係ない些事についてまで思いつきで並べられているように見えるからではないだろうか。


 当時パリに住み、「文壇」について事情通である人がリアルタイムで読んだならば、ヴィヴィッドに、悪く言えばゴシップ的にも楽しむことが出来たかもしれない。そういう意味では我々が十八世紀の小説(ディドロの『ラモーの甥』等)を読むとき、註なしでは全くわけが分からない事態と似ているかもしれない。読みづらさはそうした「遠近法」の違いから来ている問題でもある。


 しかしその手法が極めて意図的であったことも確かである。詩人としてのブルトンが想像力の飛翔に対する「現実主義的態度」「唯物主義的態度」による限定を「シュルレアリスム宣言」の中で批判したことはよく知られている。とくに後者に基づく当時の「小説」を彼は攻撃している。


  彼(P・ヴァレリー)はさきごろ小説を話題にして、自分にかんする限り、「侯爵夫人は五時に外出した」などと書くことはいつまでもこばみつづけたいと私に確信したものだった。


 こんなことを言うブルトンが通常の「小説」を書くわけがない。また物語としての小説に彼が関心があったとも思えない。そうしたことは前提としたうえで、それでは『ナジャ』においてブルトンがめざしたものは何であったのだろうか。何故『ナジャ』は彼の代表作と言われるのだろうか。もちろんこの問いに対してすべて答えることはできないが、その端緒となるべく考察を始めてみよう。

   
*      


ブルトンがかつて語った言葉に次のようなものがある。

  もし生がすべての人びとにたいしてと同様、私にいくつかの失敗を課したとしても、私にとって重要なのは、詩、愛、自由という最初に抱いた三つの主張をけっして曲げなかったことです。


 詩、愛、自由が彼のキーワードであることがこれから理解されるだろう。『ナジャ』においてもそれが例外ではない。むしろこの三つの問題が極めて緊密に連結されているがゆえに『ナジャ』はブルトンの代表作になったのではないだろうか。
 

 まず、人が詩、あるいは「文学」と呼ばれるものを書いたり、読んだり、つまりそうしたことで「生」に参与するのは何故だろうか。人生の秘めごとを「書く」ことによって一挙にそれを顕在化させる。つまり言葉さえ理解できれば誰もがわかってしまう形にすることによって何が起こるのか。この暴力的といってもいい行為に人を駆り立てるものは何なのか。
 

 通常、「近代文学」は社会(あるいは共同体)のなかで目覚めた個人の「自我」の葛藤を前提にしていると言われる。「芸術のための芸術」、「作品の自立性」といった名目は実際、作品の固有性と作者の同一性を確保しようとするための口実である。ということはつまり人は自分が唯一である、無二の存在であることを証明するために書くのであろうか。
 

 もし誰にも理解され得ない言語による独語のようなもので満足する人がいるならばそうであると言えるだろう。だが、文学はある言語によって書かれる。言語で書く以上それは誰か自分以外の「読み手」を必要としており、そこから書き手と読み手というつながりが生まれる。それは結局、他人によって自分という「個」を承認してもらいたいという欲求に基づくのではないか、というヘーゲル風の論理に行き着く。
 

 しかしそれは表面的な分析と言える。ランボーが沈黙する前に、他人の承認のために詩を書いたとはどうしても思えない。ここにはより深い理由が存在する。それは『ナジャ』の冒頭に現れる「Qui
suis-je」(私とは誰か)という問いに代表される自らの存在への謎、自己探求の宇宙が広がっている。
 

 そのために人は己を世界を通して「見よう」とする。世界は、自分が見るから、見ようとするから見える。それはもっとも単純な「観照(=哲学)」である。その意味で、そのような探究をする詩人はあらゆる懐疑していった果てに己を見出したデカルトと同型である。
 

 詩人(ここで「詩人」というのは必ずしも「詩」を書く者という意味に限定されない)が世界を見るやり方はそれぞれの「詩人」に固有の方法がある。
 

 だから詩人が世界を表現しようとするとき、それは必ずしも「詩」の形をとる必要がないと言える。これは乱暴かもしれないが、あくまでも言葉の中に「世界」を構築しようとするものもいれば(マラルメヴァレリーの路線)、ブルトンらのシュルレアリストのように「自動筆記」のような実験的なテクストを書いたり、オブジェを作ったり、スペクタクル的なイベントや行動をとるなど、様々な形態を取ることも辞さないグループもいる。
 

 ダダの一員であったマルセル・デュシャンが美術作品の「外」というものを暴力的に露呈したように、詩人も二十世紀以降、否応なく現実の社会の変容に巻き込まれることによって必然的に変わることを迫られたとは言えないだろうか。
 

 『ナジャ』の中で描かれているように、写真、絵画、オブシェ、デッサン、演劇、都市など文学以外の数多くのジャンルを、ブルトンは「詩」の表現の一部として取り込もうとしているように見える。それは世界の中にある「私」を探究するための「詩」ということから考えても妥当であるのだ。
 

 ブルトンは絵画論のなかで「眼は野生である」と述べたことがある。ある意味でランボー的な「見者」、またはそのままの視覚の表れが言葉の枠に収まらない現実を写しとるのかと思わせないでもないこの言葉が、彼の思考の特徴をよく言い当てていると思う。視覚が持つ直接性は、言葉の抽象性と異なる客観性を持つ。言葉が、ざっくり言えばコミュニケーションのための規則のある道具だとすれば、視覚は道具以前の「物」そのものとして意識と向き合っている。ここにブルトンの言葉に対する一種の横暴、不信を読み取ってしまうのはいささか早計である。ブルトンにとって言葉とは「フランス語」であり、それは思考の縛る規範、「理性」であるからだ。ブルトンが対峙しているのはこの「理性」であるといってもよいだろう。それは一方で「詩への回帰」を果たしたヴァレリーであり、科学の名の下に「非理性」を裁く精神医学である。ブルトンはそれらを単に否定するのではなく、それらを取り入れながらも「詩人」として対峙していったように思える。
 

 「理性」に抗する「野生」の人――そうするとナチスの暴力を避けてアメリカへ亡命する船上でのレヴィ=ストロースとの邂逅もまた意味深長な符号となってくる。
 がそれよりも前に「ナジャ」が出現する。
    

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 「野生の思考」としてのナジャ――彼女にシュルレアリスムのテクストを読ませ、その様子を観察するブルトンは、「未開人」を参与観察する人類学者でもある。しかし、ある種の人類学者のように自らも対象に転移してしまう人類学者に似ているかもしれない。たとえそれが女性の気を引くために男性がみせるそぶりとたいして変わらないとしても、分析的な手つきで対象を切り刻んで捨てるような冷たさはブルトンから感じられない


 『ナジャ』はナジャとの出会いとその日々を回顧し、その後の現在の心境が不連続につながっている。書かれていることは今日では殆ど事実であることがわかっている。ブルトンが「ナジャ」について書くべきことは全て書こうとしたに違いない。岩波文庫版の解説などによるとかなりの事実(その中で重要なものとしてはブルトンがナジャの狂気に気づいて入院させようとしたことなどがある)が触れられていない。また未公開のブルトンやナジャの書簡もあり、それらを『ナジャ』から排除した理由もきっとあったのだと思う。
 だから必ずしも書かれたものが「生」の全てではないが、それが真実でないとは言えないだろう。

 一冊の書物を準備するだけの余裕をもち、それを仕上げるところまできたとき、そのものの運命とか、あるいはそのものによってけっきょくもたらされる自分の運命に対して、興味をいだく術を見出すすべての人が羨ましい。どうかそんな人も、途中で少なくとも一度は本当に匙を投げる機会が訪れたことがあったのだ、と私に思いこませてほしいものだ!


 「生」が死をもってしか完結しないようにテクストも完結しない。作者が触れ得ない現実や自らの感情を「現実主義」的な想像力で補ったり、粉塗することを詩人としてブルトンは潔しとしなかったのだろう。「ナジャ」がミューズとして詩人に与えたものは、テクストそのものを書かせるということも含めて実に大きかったのではないかと思われる。


 「愛」について、ブルトンは中世の「愛の宮廷」に興味を示している。それは騎士たちによる貴婦人に対するプラトニックな観念であるが、果たしてブルトンが『ナジャ』をそうした中世的な恋愛物語とパラレルに描こうとしていたかどうかはわからない。彼らは「毎日」のように会い一緒にいる。情熱的な恋愛というより、「啓示」的なそれのほうが色濃く出ている。


 ブルトンは妻がいることをナジャに隠さないし、妻にもすべて話している(ようだ)。ナジャのほうも納得しているし、彼女のほうも複数のパトロンがいる。こうした「自由恋愛」にもかかわらず、甘美なところのない、ぎりぎりのところで成り立たせている苦痛感が伝わってくる。官能的な体験からほど遠い。そもそもその日の暮らしも困るほど困窮し、精神の状態も怪しいナジャに対し、対等な恋愛が成立するのであろうか。ブルトンはそのことをわかっていたはずであるし、後悔もしただろう。ナジャとの「恋愛」は最初から挫折することを予感している。


 第三部においてブルトンが「君」に向かって「君は私にとっていちばん身近なさまざまな形にも、私の予感のさまざまな姿にも置きかわった。ナジャはそんな予感の姿のひとつだったが、そのナジャを私の目から隠したのは、まさしく君なのだ」と呼びかけている。ここからブルトンの新しい恋の高揚※を読みとるのが普通かもしれないが、むしろ中世的ともいえる「永遠の恋人」の形象を描写しているのようにも読める。ドゥルシネーア姫に恋するドン・キホーテ? だとすると、現実においては満たされない貴婦人にたいする恋愛を騎士が抱くように、ブルトンの一方的な「幻想」として「ナジャ」は恋愛の対象になったのであろうか。


 すべてが終わった今、解釈を下すことはたやすい。しかし『ナジャ』が書かれた時、まだ何も終わってはなかった。


 『ナジャ』は「現代」というキリスト教的世界観なき後の「生」の様式を模索しているように私には見える。


      
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 「自由」について。最初に想像力の「自由」についてシュルレアリスムの態度について述べたが、ここではもっと「世俗」なレベルで考えてみよう。


 それは「狂気」の問題である。精神に破綻をきたしたナジャを監禁したことに対するブルトンの怒りは理解できるものの、これは難しい問題を含んでいる。


 精神病院という場所が「治療」という名の強制的隔離を行っていることに対して、「一度でもそこに足を踏み入れたことのある人なら、精神病院こそは狂人をつくるところだということを知らないはずはない」というブルトンの言葉は頷けるし、彼の怒りは正当である。しかし問題は根本的であるがゆえに解決も困難であるのだ。なぜなら依然として多くの人間が自らの自由と引き替えに隷属を望むことも確かなのである。


 この問題は特定の病の問題ではなく、自由な社会と全体主義的、ファシズム的な社会の境界にあると言って良い。つまりどういうことかというと、個人の想像力や欲望の拡張は際限がないものであるにしても、実際は他人の存在や物理的な障害によって限界づけられる。個人が「自由」であろうとして振る舞うとき、他人との間で力と力の衝突が起こる。それゆえに次第に社会的秩序が形成されるのであるが、これを相互の承認による協力という形で行うか、上からの権力によって押しつけ形で行うか、おおざっぱにいえば二つの方法があって、歴史が証明するようにしばしば人間は後者を選択してきた。そしてそれを理性の名のもとで行うことも頻繁であった。

  どうして一個の人間から自由を奪ったりするのか、私はいまだにわからない。彼らはサドを監禁した。彼らはニーチェを監禁した。彼らはボードレールを監禁した。


 ここには幾分レトリックもあるが、「大いなる閉じこめ」(フーコー)が社会において作動していることに対する激しい批判がある。先にも述べたように、「近代文学」の動機もこの個人と社会の衝突という点にあって、ブルトンも当然避けるわけにいかない問題であった。
 またナジャは貧しかった。貧困や放浪といった現象に対する徹底的な排除は「自由な社会」であるはずのフランスでも十七世紀に確立している。ブルトンが「詩人」として社会的な問題にも関心をもち(もちろん彼だけとは限らないが)、共産主義に接近したり、反ファシズム運動を行ったりしたのも、「詩」が人間の社会的な「自由」と切り離すことができないことを意識していたからである。「自由」の名においてブルトン共産党に対しても決して妥協しなかったし、その後の戦争も耐えて生きのびた。


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 以上のように『ナジャ』を通してブルトンをみてくると、非常に彼が「西欧的(フランス的?)」な作家であることがわかる。彼の唱える理想が啓蒙主義思想の良質な部分を含み、近代文明の可能にした諸条件の上にあるのは疑いない。また社会的な職能ではない「詩人」の存在もそれが前提となっている。資本主義の原始的蓄積の上にあるブルジョワ社会のある種の余裕が「自由」も「恋愛」も可能にした。半世紀前にブルトンを模倣した日本人の姿が滑稽に見えた(四畳半シュルレアリスム!)のは、日本にはその条件が十分に備わっていないからではないか。


 すると現在の我々はどうなのであろうか。条件が変わったのだろうか。全体でみれば「世界」は確かに豊かになっただろうが、日本に「詩人」を養う余裕があるだろうか。それを考えるとブルトンを西欧的といって批判することもひとつの価値判断になってくる。つまり我々の「実存(l'existence=「生」とも訳せる)」の問題になってくるのだ。そこから再び「文学」を再考していくべきではないだろうか。そうではないのか?


(了)


※岩波版の解説によるとこの「君」はナジャと別れた後に現れたシュザンヌ・ミュザールであるということだが、もちろんそれを知らなくとも十分に読むことができるし、「君」に対する想像が広がることで知らないほうがいいくらいだ。