●1999年から続く文化系サラリーマンたちの読書会。白水社さんを勝手に応援中です。
●メールはu_ken7@yahoo.co.jpまで。
●当ブログのコンテンツ
U研って何?メンバーこれまでの歩み活動レポート掲示板リンク集

「20年越しの『検証』」 極楽寺坂みづほ


 私は知った。「巖谷國士」が「イワタニ・コクシ」ではなくて「イワヤ・クニオ」であることを。私はこの名を幼い頃から非常にしばしば目にしていたと思う。「思う」と言うのは、それが今私の目の前にNTTドコモの景品である「ドコモダケ」が存在しているという事実ほど確固たる基盤、あるいは手でじかに触れて確かめられるだけの具象性を持たない不定形な記憶のかたまりであるに過ぎないからだが、およそ記憶というものはそれと似た掴みどころのない性質を持っているものだ。それは随意の加工や修正が可能であり、たとえその記憶の持ち主が、公にすることが憚られるなんらかの忌まわしい事実を隠蔽したり、自分という人間を実際以上に好ましいものに見せようとするあまり現実には存在しなかった、あるいはし得なかった事実をつけ加えたりするような、よこしまな目的に奉仕する操作にあえて手を染めようとする意図を最初の段階から持っていなかった場合においてさえ、ちょっとした思い違いや錯誤が原因で、記憶をその本来あるべき姿からいくぶん脇道へ逸れた形で再現し、「ごらん、これが私の記憶だ!」と提示することもないとは言えない。しかしそれを前提とした上で今私が提示できる記憶があるとするならば、私はリセに通っている頃、しばしば父の書斎に出入りし、次に読む本の候補になりそうなものを片端から探しては、持ち主である父にその本についての寸評を乞うたものであり、その中に「巖谷國士」が翻訳したフランスの詩集や小説がいくつかあったのだというこの記憶―――そう呼んでさしつかえがなければ―――-を挙げることができるだろう。


 その頃の私はランボーヴェルレーヌマラルメヴァレリーといった19世紀末フランス象徴派の詩人に入れ揚げており、彼らの詩句のひとつひとつを真に理解していると言い得るのかどうかさえはなはだ心もとない状態でありながら、「見よ、この地はすでに余すところなく掘り起こし尽くした!」と傲慢にも宣言しながら、「新たな沃野」を求めて父の書斎を遊弋していたのである。その時点で私が所有していたわずかばかりのいわゆる「文学史的知識」によれば、象徴派の「次」はダダイズムであり、その「次」に来るものがシュルレアリスムであった。したがって私がランボーに倦んだ後に巖谷國士の翻訳による『ナジャ』を指し示したのは当然のなりゆきと言わねばならないだろう。私は言った。「お父さん、これは?」。すると父は答えた。「それは、あんましおもしろくない」。それが賢明なことであったのか否か、現在に至ってもなお私は確たる判決を下すことができないのだが、私は父のその一言を聞く限りにおいて、その本は、私がその年頃の子供にしては驚くほど誠実に力を注いでいた学業や、必ずしも公にしていることではないし、また自ら進んで公にしたくなるほど卓越した水準に達していたとは言いがたいものではあっても、実際にはその当時からすでに始まっていた執筆活動の合間の、読書のために充てることを自らに許したごくわずかな時間に捧げるには価値が低すぎるにちがいないという臆断のもとに、そこへ向かって伸ばしかけた手を引っ込めたのであった。代わりに父が私に勧めたのは、おそらくはこれといった司書学的な理由もなくたまたま『ナジャ』の近くの段に位置していた本、哲学者矢内原伊作が造型美術家ジャコメッティとの親交を書き綴った大きな判型の本であり、その告白において克明に描かれている、矢内原がジャコメッティの妻と通じるに至る経緯の記述が非常に「いい」のだという父の紹介に心を動かされた私は、いつか必ず読もうとかけ値もなく心に決めていたにもかかわらず、その後今に至るまで機会を捉えそこねて読まずじまいでいる。


 さて、このとき私が父から聞いた「あんましおもしろくない」という評言は、その後20年にもわたってブードゥー教の呪いの文句のように私を縛めつづけてきたのであるが、「おもしろい」という語の含意を吟味する際にある種の慎重さを要することは論をまたないであろう。比較の問題として言うならば私はこの語をいたって日常的な用法、あたかも水道で洗った手の雫を落としてタオルで残りの水分をぬぐい取るといった、通常ほとんど無意識に行なっている、そして1日のうちでも反復して行ない得る所作に伴う意識のありように似た単純さをもって用いる方を好む傾向があり、文学者でありながら口頭でなにがしかの批評をする際には、なんら学問上の肩書きを持たないが非常によく本を読む人々よりもむしろ飾り気のない、拍子抜けするほど素朴な言葉づかいを採用する人であった父もまたそうであった。したがって父が「おもしろくない」と言うときは常にそのような意味合いにおいてなにかが「おもしろくない」と評定を下しているのであり、私はいくつかの先行する経験からその鑑識力には一定以上の信を置いていた。今回、20年越しに、父の裁定を実地に「検証」すべく、私は初めて『ナジャ』を手に取り、そして私はそれを読んだ、ひょっとしたら父の鑑識力も今度ばかりはなにか不運なめぐりあわせで適切に働くことがなく、実際には「おもしろい」ものをそうではないと決めつけていたのではないかとか、父が「あんましおもしろくない」と評したのは『ナジャ』ではなくてたまたま書棚の同じ段にあったなにか別の本―――たとえばジャン=ポール・サルトルの『実存主義とは何か』だったのではないかといった逆転の可能性をいくばくか期待しながら。しかしそれはやはり、「あんましおもしろくな」かった。


 もっとも、いくつかの美しい言葉に出会うことはできた。それらの美しいことばを結晶させ、漉し出させる媒体として、それ以外の部分が必要だったのだ。たとえそれが、風変わりな女との出会いと別れという陳腐な筋立ての物語であったとしても。

Ω