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シュルレアリスムの女神〜アンドレ・ブルトン『ナジャ』を読む〜 松浦綾夫

 
 愛した女への思慕をつづり、写真をコラージュし、小説だか、日記だか、論文だか、判然としない、フリーなスタイルのテクスト。これって今なら、ウェブ日記とかでよくあるけど、1928年に書かれた、ってことを考えると、斬新だよね。


 白水Uブックスの『ナジャ』は中学3年生のとき、一度読んでいる。でも、難解で、最初のほうでつまずいちゃって、うまく読めなかった。じつは、中学受験で勉強漬けのガキだったぼくが文学にハマったのは、シュルレアリスムがきっかけだった。アポリネールの『異端教祖株式会社』、ジャリの『超男性』、ベアリエの『水蜘蛛』なんかと一緒に、手にした。世の中の思考方法はすべて効率が優先され、垂直と水平のフレーミングだけが大切だ、と思いこんでいた当時。ふと図書館の片隅に光る外国文学レーベルに手をのばしたんだ。それがUブックスだった。


 ぜんぶぶっ壊せ、夢と現実の境はない、幻想が現実の領域に入りこみ世界を反転させる。20世紀初めの芸術運動シュルレアリスムには、すぐしびれた。シュルレアリストたちの奇矯な言語コードをつかい詩や小説を書いたり、夢の日記をつけたり、エルンストやピカビア風の絵を描いたり。しかし、その後、関心は他のアート分野に飛び火してゆき、シュルレアリスムは最初の恋人として忘れられていった。


 『ナジャ』の岩波文庫は2003年に新装版で書店にならんだ際、一度手にとっている。巖谷国士(この人は澁澤龍彦の遺作『裸婦の中の裸婦』を、澁澤の死後に本人の希望で書き継いだ)による、すさまじい量の訳注(およそ半分を占めるが、こんなに多いのは文庫ではパノフスキーの『イコノロジー研究』くらいしか見たことがない)は、巖谷自身がひとりの翻訳者の立ち場を超え、テクストに新しい作者として介入していったことをしめす重みである。


 ルポルタージュ? 写真集? 研究書? モザイクのような切断面を見せながら、多層の、ゆがんだ、変転する像を見せる『ナジャ』。今回、ゆっくり2回読んでみた。ついでに『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』もちゃんと読んでみた。とてもいい気持ちになった。やっぱり、シュルレアリスムはいい。薔薇がある。


 『ナジャ』はあらすじだけ乱暴に辿ると、こうなる。


 芸術家であるブルトンがパリの街でエキセントリックな若い女をナンパ。この女、なかば精神状態がおかしく、発狂しかけている。が、それだけに言動が抜群におもしろく、今まで出会ったことのない刺激がある。ブルトン、大いにはまる。しかも、狂っているせいなのか、彼女が見る幻影や口走る詩の断片、へたな絵の切れっ端は、シュルレアリストそのもの! 正気と狂気、夢と現実のあいだをすいすい往き来するのだから、びっくり。ブルトンが運転する車のなかで足のうえからアクセルを踏みつけ、キスしたままの衝突死も辞さない女。一閃の火花のような恋。ナジャには幼い子どもがいるが、娼婦としての前歴もある。奔放な生き方も、シュルレアリストである。最後にはほんとうに発狂し、病院に入ってしまう。


 ナジャはブルトンが夢見たシュルレアリスム運動を体現した、女神のようではないか。まるでブルトン自身がつくりだした、一個の幻影であり、一篇の詩の魔術のようだ。だが、ナジャは仮構としての存在ではないらしい。巖谷国士の考証がなければ、ナジャ=ブルトン自作自演説をとなえてしまうところだ(ダダの総帥・デュシャンが女性名ローズ・セラヴィという変名を用いたように)。


 このテクストの巧妙さは写真のインサートにもある。デュシャンの後頭部の毛を星型にくりぬき撮影した「ひとで」や全裸女性の後ろ姿、背中から臀部にかけてト音記号を配しヴァイオリンに見たてたポートレートを発表したのはマン・レイ。このシュルレアリスムが生んだ最大の写真家は、写真を事実の克明な記録から、方法論としてのアートへ拡大させた。ブルトンは『ナジャ』のなかに写真や絵をちりばめることで、ただの小説とはまったく別個のものにしてしまった。ちょうどマン・レイが記録=写真という文脈にアートのコンセプトを、合成・多重露光などの技法を用いることで瞬間芸術を「編集」できる可能性をしめしてみせたのと同じように。


 ブルトンは過去をふりかえり…ナジャとの思い出の場所を撮った写真を集め、絵やメモの断片を「編集」することで、新たな意味をもたらす。ナジャとの恋の顛末に、事実=記録としての印象をあたえているのだ。シュルレアリスムという芸術運動は詩や小説が絵画や映像とも横断するところに特色があった。ナジャという不思議な女。シュルレアリスムそのものを生きているかのような女。写真さえなければ、ブルトンの脳内で合成された空想の産物だと、だれもが疑うにちがいない。


 『ナジャ』はほんとうにふしぎなテクストである。ブルトンの住んでいたホテルの写真に始まり、執筆につかった鳩舎・アンゴの館(この写真は美しい)、パリのカフェや街角、さまざまなポートレート。これらが織りなされるなかで、確実にナジャの存在もまた本物の、可視のもとなる気がする。テクストとして、あちこちに心地よいテンション(緊張)もある。娼婦であるナジャがいやな客との交渉を拒否した逸話を耳にしてブルトンが嫌悪する場面や自分の娘が人形の目をくりぬいてその裏にあるものを見たがっているとナジャが告白する挿話、など、奇妙にリアルだ。失恋の一部始終を赤裸に、イタい話も隠さずさらけだす…この自己告白の、体験的なリアリティーは、まるで日本の私小説ではないか。梅毒に脳をおかされて狂い死んだエキセントリックな娼婦を思慕し、懐旧の地を訪ね歩く…パリが浅草なら、永井荷風の世界にも近似してくるだろう。


 ブルトンは語っている。「周知のように、非‐狂気と狂気のあいだに境界などない以上、私はそのどちらに属する知識や観念に対しても、それぞれ他方とちがう価値を認める気にはなれない」(『ナジャ』)。また、こうも言う。「狂人たちの打明け話、これをさそいだすためなら、一生をついやしてもいいくらいだ」(『シュルレアリスム宣言』)。


 すべては破滅的、悲劇的なナジャの最期にかぶさってくるかのようだ。
「ナジャは1927年3月21日、嗅覚・視覚的幻覚にとらわれて恐怖の叫びをあげ、ホテル主の通報によって警視庁の特別看護室に送られた。その日のうちに12区のサン‐タンヌ病院で診断、24日にはパリ南郊(現エソンヌ県)エピネー‐シュル‐オルジュのペレー‐ヴォークリューズ病院に入れられた」(『ナジャ』巖谷国士・訳注)。


 『ナジャ』の結語はあまりに有名だ。「美は痙攣的なものだろう。それ以外にはないだろう」。あらゆるものはもだえ、ふるえ、またたき、一瞬燃えあがって光り、やがて、死滅する。シュルレアリスムとは、美学の定義のための用語などではない。シュルレアリスムとは、生き方である。