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山中恒『おへそに太陽を』粗編集

 読書会の当日が迫ってますので、暫定的にレポートをまとめてアップします。届いたものをアップしただけといってもよい。

 読み辛いですが、近日中にまとめますんで、しばらく我慢してください。


★奈保千佳

「おへそに太陽を」再読して気づく
ばかばかしさの中に潜む理不尽さと痛み


退屈と不安の中で山中恒に出会った。

 私は退屈していた。小学校の3年生から5年生くらいにかけて私は退屈していた。
 運動神経がいいわけでもないし、何か面白いことが言えるわけでもないし、勉強が得意なわけでもないし、目だつ存在ではまったくない。
 唯一好きなことといえば、本を読むことだった。ドッジボールやゴム弾を付き合い程度にこなし、1週間に5日ある昼休みのうち最低2日は図書館に行き、本を読んでいた。
 そのころはまっていたのが、小学校高学年向けに出された中篇の小説集だった。山中恒はその代表格で、ポップな表紙のその小説コーナーにある本を手にするのが私の楽しみだった。今覚えているだけでも、「6年4組ずっこけ一家」「くたばれかあちゃん」「なんだかへんてこ」などなど、タイトルだけ見ても面白そうなものが並んでいた。
 山中恒をむさぼるように読んだのは、そのポップな表紙を裏切らないアバンギャルドな内容だった。灰谷健次郎のような説教臭さも、松谷みよ子のようなオカルトもなく、今の時代を生きるしょうもない少年少女の青臭くも切ない日常がテンポよく描かれていた。
 実際、私の小学3年生から5年生は変化の多い時期で、今思うと不安だったのだと思う。両親の離婚の危機があった直後が、3年生くらいで、それが一段落してほっとしたのもつかの間、今度は母が肺がんになる。それが5年生のとき。いろんな意味で片親になるかもという不安を抱えていた時だった。
 「おへそに太陽を」はそんなときに出会った楽しいお話だった。逃避にはぴったりだった。

児童をひきつけるミステリーの要素

 山中恒の小説を今回、いくつか読み返してみて感心するのは、それがただの学園ものではないところ。そこには必ずといっていいほど、ミステリーが含まれている。「おれがあいつであいつがおれで」では、斉藤一夫と斉藤一美が幼少期におばあさんを殺してしまったのではないかという謎。
 「おへそに太陽を」は最初に出てくる伯母さんを不幸にしてしまういくつかのアイテム。この忌避すべきものをプレゼントされることで、主人公の里美は大好きな伯母さんを殺してしまうというカルマを背負う。
 皮とダイアと土と剣。
 このアイテムがそろわない限り伯母さんは里美に殺されないのだが、ひょんなことからこのアイテムがすべて揃ってしまう。その短いくだりが絶妙なのだ。皮やダイアはそれぞれ形を変えて里美に渡される。皮は革張り、ダイアはダイア柄、土は陶器、剣はペーパーナイフ、といったように。私はここが好き。「おへそに太陽を」をなかば強引に課題図書に選んだのも、ここを言いたかったから。実際、図工の時間に私はこれらのアイテムを盛り込んだ埴輪をつくった。まぁ、埴輪だけにビンに土粘土で形を取り、ボールペンのシンに肉付けした剣を持たせ、ダイア柄の衣装にし・・・。あ、皮は盛り込めなかったなぁ。忌まわしい埴輪を作って私は何をしたかったのだろう。

子ども社会の中の理不尽

 お話に戻る。主人公の里美が魅力的に描かれている。伯母さんの予言でお姫様の生まれ変わりと言われた里美は、お金以外のことは努力すればかなう。山中恒はこの手の努力すれば報われるという説教臭い話を里美というキャラで親しみをもって体現させている。まず、聖クローディア学園受験に努力する
里美の姿。受験には受かるが、お金の問題で入学をあきらめる里美。一緒に頑張っていた親友は追加で合格し、里美を切り捨てる。その手のひらの返し方は、露悪的過ぎるくらいで、里美は理不尽な状況を突きつけられる。理不尽。山中恒ほど子供の世界の理不尽を具体的に書いている作家はいないのではないか・・・。
 「おへそに太陽を」に出てくる理不尽を挙げてみる。

○自分のせいで伯母さんが死んでしまう。それも笑い死に。
○父親のいる学校に入学させられてしまう。
○望まれて生まれた子供ではないというエピソード。
○王子さまであるへそ君はちっともかっこよくない。

 等々、中学生にしては厳しすぎるほどの理不尽な試練が里美におそいかかる。憲兵なる陰湿な教師がいっぱい登場するが、ここにはやや、時代を感じる。「おへそに太陽を」が書かれたのは1984年。折りしも中学や高校は校内暴力で荒れていたころだ。そんな中、生徒を抑圧する先生の一団VS里美&へその構図は、今となってみるとなんだか古臭いかもしれない。それにしても、里美というキャラの破天荒さはかなりすごい。これ、小学生が読んで大丈夫なんだろうかと思う箇所が多々ある。押し倒したり、キスしたり(それも唇の周りをぺろぺろなめたり)、マチコセンセイも真っ青ではないか。そして、先生たちの怪我のしかたも半端ない。骨折したり、ざっくり切ったり、ラジカセでぶん殴ったりと子供だったら、うへーとなりそうな生傷を負う描写が多い。
 そういうところも、山中恒ってうまいと思う。自分の子供がモデルなんだろうか。それともすごく丁寧にリサーチをしているんだろうか。またはこの人、子供がそのまま大人になった変なおっさんなんだろうか。

死は重要なテーマではない

 この話の中には、一人の少年の自殺と女教師の事故死というエピソードが絡む。憲兵の一人の横暴がその遠因なのだが、その辺はちょっと安直なんじゃないかと。ここに死を絡めるには、説得力に欠けるかな。女教師の事故死にいたっては、里美の父が乱暴しようとしたという濡れ衣を着せられていたこともラストで分かる。そして、里美と父の和解・・・。テンポが良いのはいいのだが、いくらなんでも軽い。死んでいるんだよー。まぁ、里美の伯母さんも
あっけなく最初に死んでしまっていることを考えれば、この物語に死はそれほど深い意味を持っていないと考えればいいのだろうけど。児童文学=命を大切に!に慣れていると、こういう潔い死というエピソードの扱い方には衝撃を受ける。読み返してみて改めて驚いた。それにしても里美と和解した校長が、最後にへそを追っかけて、キスしようとするシーンはアホすぎる。マンガだよねこれ。

最後に

 ユーケンのみんなを巻き込んで読むような話ではないのかもしれないが、私は子ども時代の私に再会できて、なんだかちょっと嬉しかった。そういえば山中恒の「なんだかへんてこ」は子ども時代のお母さんが出てきて息子に迷惑をかける話だったよなぁ。これも機会があったら読んでみたい。

★アヤヲ会長

児童文学は3度死ぬ
山中恒「おへそに太陽を」を読む


「おへそに太陽を」〜「おれがあいつであいつがおれで

「もし絵本の出版社に入ったら、どうする」
「子供が気違いになるような絵本をつくるさ。あるいは聖人君子になるようなやつをつくるさ。エロ本も絵本も爆発しなきゃ、ただの紙クズよ」

 さいきん読んだ、ある小説の一説だ。
 山中恒「おへそに太陽を」は装丁も怪作「電脳炎」の漫画家・唐沢なをきなら(理論社版)、中身も異色の児童文学だ。謎めいた予言に始まり、主人公の祖母殺し、忍者のクラスメイト、美少女剣士との恋の鞘当て、そして、教師による暴力が蔓延する中学校での、生徒による告発・弾劾…と。どこからも<ぜんぶぶっ壊せ>という声が聞こえてくる。いい子がおりなす児童文学ではない。教師の汚職、怠慢を生徒側が摘発する(主人公・里美の通う中学校の校長が父親という設定である)し、性的な会話もあちこちに顔を出す。

 山中にはやはり中学校を舞台に、幼なじみの男女がぶつかったショックで体が入れかわる…後に尾道を舞台に大林宣彦が「転校生」として映画化した…「おれがあいつであいつがおれで」という有名な作品がある。

 「おへそに太陽を」は1968年に書かれ、「おれがあいつで…」は1980年に本になった。このふたつの作品はよく似ている。「とりかへばや物語」的な「おれがあいつで…」は男女おたがいの体を交換することで世界の見え方が変わる悲喜劇、作者自らがエッチに描こうとした、というように、胸や性器をめぐる描写もよく出てくる。性が入れかわったふたりは、やがて戻れない、帰れない世界にたじろぎ、おののき、おたがいの体やものの見え方をいつくしみ、覚悟をきめかけたところで、再びもとに戻りめでたし、となる。

他力する物語

 「おれがあいつで…」に比べると、「おへそに太陽を」はだいぶ物語として弱いようだ。壊すだけ壊して、つくらない。いわば、「おれがあいつで…」で、たちすくむふたりが帰ってくる部分が描かれていない。一番気になるのは、主人公の少女・里美が自ら動いてはいるものの、すべて忍者少年・平蔵の助太刀によって救われている、ということだ。 

 こうした他力は、藤子不二夫の漫画「ドラえもん」や「忍者ハットリくん」などでよく見られる。他人の力によってたすけられている。それは読み手によって慰撫であり癒しのファンタジーなのだが、現実の厳しさとは異なる。「おへそに太陽を」はこうした超人的な登場人物にささえられているので、他力である。

 冒頭に「八犬伝」のごとき中途半端な予言をおいたのもよくわからない。そして、教師から生徒への体罰問題を隠蔽した教育者たちの腐敗の中央に、里美の父親=校長がかかわっている…最後に父は里美にあやまるのだが、これは家庭=学校=国家という縮図のなかで、あらかじめ権力装置である父性なるものが、娘に屈服する、というかたちを企図しているのであろうか。だとしたら、学校内部の工作をめぐる顛末もいかにもずさんだ。個々のエピソードが子どもだましであり、ドタバタ劇の域を出ない。

 山中作品の児童の造形には、天衣無縫でまっすぐな子どもらしさがある。それは大人どもの卑小さや狭量さをあわせもつ、たぶんに俗っぽく生臭い子どもの姿でもある。きっと、無垢で純真な子どもを描いてきた古い児童文学とくらべ、山中恒がさしだした子ども像は発表当時は新しかったはずだ。

「ボクラ少国民

 山中恒には児童文学とならんで「ボクラ少国民」に代表される、戦時下の児童研究シリーズがある。「ボクラ少国民」の視点は新鮮だ。戦時下、子どもたちは日々どんな暮らしを送り、その低い視線から世界を見つめていたのか。小学校におかれた御真影・奉安殿の儀式や皇紀2600年の奉祝行事への参列体験、戦時の流行歌のうつろいなど、幼年期の自身の記憶力を生かし、子どもたち=少国民がいかに欺瞞に満ちた、大人たちの体面につきあわされ、言葉に踊らされ、無為な耐乏を強いられたか。この記録を読むと、がんじがらめの学校生活ばかりで、つくづく戦時だけでなく、統制のつよい国家はいやだな、と思う。

 むかしから、児童文学は、社会運動に挫折し、転向を余儀なくされた大人たちが、子どもに希望を託して描いた救いだった。もともと社会主義者だったり、アナキストだったりした大家も多い。その傾向は大正、昭和初期、さらに戦後も政治と文学というテーマを一身に負ってきたし、党派性も強い(現在ではアニメーション作家に学生運動に関わった人物が多いのに似ている)。山中恒は戦後大家となった児童文学者のなかに大政翼賛的だった者がいたことも非難している。二重三重に傷ついた児童文学というジャンルを、かなり冷ややかに、批評的に見たうえで描いたスタンスが作品になったらしい。
けれども、私には児童文学にはふわりとからだが浮くような浮遊感がほしい。ぜんぶぶっ壊し、学校を、家庭を、解体しつくす物語を書いてもよい。しかし、児童文学というジャンルには、少しだけ視線を上に向けていてほしいのだ。読み手の対象が子どもである以上、倒壊した都市、瓦礫になった人家の奥からでもちいさくのぞく青空が、ほんの少しの救いがほしいのだ。

児童文学の彼岸

 児童ドラマの代表的な作品「ひょっこりひょうたん島」の作者である井上ひさしは、60年、70年の学生運動が退潮したあとの雰囲気を作品にこめた。とくに「ブンとフン」という子ども向け小説は、売れない三文文士ブン先生が書いた物語から、登場人物のフンが抜け出して増殖し、世界で革命を起こす…乱暴にいえば、そんな話だった。本の途中を山折り谷折りにしたり、のりづけにしたり…そんな指示もある楽しくてばかばかしい不思議な本だった。この小説を読んだ時、私は小学5年生だったが、「気違い」になってしまった。文学という魔にとりつかれてしまったのだ。

 その後、大人になってから「それからのブンとフン」という続編があるのを知った。そこにはあとがきとして、こんな意味のことが書かれていた。「ブンとフン」を書いたとき、自分は70年の学生運動が60年より大きく広がるのを感じ、日本が革命になると信じていた。しかしそうはならなかった。その反省をこめて続編を書いたのが「それから…」だというのだ。…こちらは陰々滅々たる暗い話で、刺したり刺されたり、逃亡したり…内ゲバのような…血みどろで作者も血を流しているのだな、と思ったが、内容はまったくつまらなかった。

 児童文学は3度死ぬ。社会とたたかって死んだ作者が書きはじめ、作品が同時代にもまれて死に、それから永い時を経てなお読み継がれていかなければ死ぬ。

 思えば児童文学の黎明を告げる「赤い鳥」の頃の作品群は、いずれもはかない、子どもたちの命のまたたきを描いたものが多かった。昔の子どもたちは死にやすかったのだ。

 今の児童文学者たちはなにを書くべきなのか。そこに私の求める救いはあるのか。(了)

極楽寺坂みづほ

 こんなにエロくていいのか?


 『あばれはっちゃく』は、よく知っている。リアルタイムでテレビドラマの方を観ていた(たぶん、初代の『俺はあばれはっちゃく』)。よく肥えたにくたらしいガキが、主人公・長太郎役を演じていた。あまり好きな番組ではなかった。長太郎の暑苦しいビジュアルやキャラクター設定が、ほぼ同世代であった私の美学に著しく反していたからだ。

 その著者である山中恒が、ここまでアナーキーな児童文学の書き手であったことを今回初めて知って、かなり驚いている。アリかよ、これ。 

 メインキャラクターの1人、「へそ」こと田山平蔵は、またしても私の美学をことさらに逆なでする存在だ。山育ちで不細工で粗野。そのくせ、ひと目見ただけの校長の娘・里美に、いきなり「姫のためならなんだってするぜ」と自ら奴隷宣言をする。意味がわからない。いったい、どういうパーソナリティの持ち主なのか。しかしこのあたりのノリは、武論尊が健在だった頃の本宮ひろ志系劇画(作者の意図を離れて、実は意外と不条理)の流れを汲んでいると言えなくもない。執筆が1984年であることを考えれば少々時代遅れだが、山中自身、戦時下教育の告発に没頭した数年間のブランクを経て、「再出発」のつもりでこれを書いたようだから、その程度のズレは致し方のないところなのだろう。

 それより私を瞠目させたのは、この作品の中にエロが横溢していることなのだ。児童文学の皮をかぶっているにもかかわらず、エロい描写があまりに多い。 醜男の平蔵が、二度にわたって美少女からディープキスを受けている。しかも、馬乗りになって口を吸うという激しさだ。「あたりまえでしょ。パンティーくらいつけてるわよ。すっぽんぽんなら、かぜをひいちゃうわ」という里美の台詞もスゴい。「信乃の舌は平蔵の口の中に押し入り、平蔵の舌をぺろりんことなめまわした」……ってエロ小説かよ!

 もうひとつ、この作品についてはっきりと指摘できることは、教師がまったく聖職者として描かれていないことだ。里美の父親である校長からしてエゴと虚栄心のかたまりだし、娘から平蔵を遠ざけたい一心で、あろうことか別の女生徒(信乃)との交際を平蔵に勧めたりする。言語道断のふるまいである(ポン引きかよ!)。〈憲兵〉の異名を取る荒木先生も、あきらかに体罰の範囲を超えた暴力をためらいもなく生徒にふるうばかりか、生徒の姉に交際を申し込んで断られた腹いせに、その生徒を陥れて自殺に追いやったりしている。

 80年代前半の世相も影を落としているだろう。私自身が、その頃に中学から高校に上がるくらいの年齢だったから、その空気にはリアルタイムで触れている。学校では校内暴力が猛威を振るい、それに対抗するかのように、教師による体罰がまかり通っていた。まして山中は、ちょっとばかり左がかった立ち位置にあった物書きだ。教育のあり方に対する山中本人の批判的なまなざしが作品に投影されるのは、むしろ当然のことだったと言わねばなるまい。 

 しかし、どうにも拭い去りがたい違和感として残るのは、物語全体があくまでコメディタッチで描かれているという点だ。この作品の中で起こるできごとの多くは、コメディとして描くにはあまりに深刻な事件・事態なのではないか。左がかった物語作家である山中が、コメディの装いに紛らわせて教育批判をしようとしたのか、それとも、本人はあくまで素で「ユーモラスなお話」を書こうとしていて、そこに図らずも本人の思想的偏向が顔を覗かせてしまったのか、そのあたりが気になるところではある。

 ただ、中学校を舞台にした児童向けの作品でありながら、教師という存在に向けるまなざしから、「聖職者=人格的に立派な人たち」という嘘くさいバイアスをあっさりと完全に排除した上で、(エロも含めて)ここまで破天荒な展開の物語に仕立て上げられたのは、ひとえに、話をおもしろくしよう、おもしろい話を書こうとする初期衝動のたまものだろう。この調子で一般文芸に進出したら、どんなものを書いていたのだろうか。なにか書いてほしかった、と思う。Ω

★内海惟人

'68もエロの年?(『おヘソに太陽を』山中恒


 とにかく時代を感じさせる物語です。学校は牢獄、それに対抗する生徒たちの反乱。
 その対抗原理が暴力と性というのがいかにも68年的です。
 ベトナム戦争、パリの五月革命、翌年の安田講堂陥落まで続き入試も中止になった東大闘争、キング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺…
 よくも悪くも現実の雰囲気を非常に反映しているのではないでしょうか。つまりあまりにも時代を感じさせすぎて古びてしまっているけど、児童向け小説でこの内容はすごい…『新宿泥棒日記』を観たときのような感慨におそわれましたね。要するにみんなエロだと……