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脳が拒絶する細部―――スティーヴン・ミルハウザーの「発明」 極楽寺坂みづほ


 読み通すのに時間がかかる本とそうでない本の違いは、どこから出てくるのだろうか。


 緻密な文体と空疎な文体。まっさきに思いつくのはそれだ。情報の密度が高い文章であればあるだけ、提示された情報を脳が処理する1行あたりの時間が長くなるのは当然だろう。ただ自分の経験から言って、それは必ずしもそういう単純な数量的計算で測定できるものではないようだ。どんなに込み入った書き方をしたものであっても、内容に夢中になっていれば読むペースもおのずと加速していくのが習いだからだ。


 最悪なのは、「込み入った文体」の中でもさらに、与えられる情報を処理・把握することを脳が拒むような書き方がなされたものだ(文体が「込み入って」いるかどうかと、その文章の与える情報が脳にとって処理しやすい形のものであるかどうかということは、必ずしも同じではない)。


 スティーヴン・ミルハウザー『バーナム博物館』は、僕にとってはそういう意味で「最悪の」種類の本のひとつだった。読み通すのにこれほど時間がかかったケースは、白水Uブックスの中でもかなり珍しい。
「つまらなかった」と言っているのではない。ただ気になるのは、これを読んでいる間、しばしば自分の脳が拒絶反応を起こしていたことだ。認識回路が「蹴つまずく」と言えばいいのか、「足踏みをする」と言えばいいのか……。


 その理由のひとつははっきりしている。いくつかのセンテンスを抜粋してみよう。

花園の南西角に立つ棗椰子の木々の幹は、彫刻をほどこしたチーク材にすっぽりとくるまれ、さらに、金箔をかぶせた銅の輪がそのまわりを取り巻いている。日の光が、棗椰子の木を囲む輪や、噴水の白い縁や、六角形の赤い砂に当たってきらっと光る。(『シンバッド第八の航海』)

クルミ材の、船の錨をかたどった箱に入った晴雨計。錨の先端が両端から円いガラス板を支え、雨、晴、転、嵐の四文字が作る輪のなかに、海馬にまたがったネプチューンが描かれている。ある壁龕には、大理石のヴィーナスとキューピッドの母子像がある。(『アリスは、落ちながら』)

ゲーム盤上には十七のドアがあり、どれもまったく同じ形状である。色は黄色で、グレーの鏡板が四枚ずつ入っている。家具と同じくドアも、上から見たところを極端な遠近法で描いてあり、いずれも上辺が底辺の倍の長さの台形になっている。(『探偵ゲーム』)


 今、これを抜き書きしているだけでも心底うんざりしてきたが、この作品集では随所に、ある事物を偏執的と言っていい精度で詳細にわたって描写する上記のような文章が挿入されている。しかしいったい、こうまで細かく描写しなければならない必然性がどこにあるのか。著者はまるで、自分が思い描いた光景を、すべての読者が寸分の狂いもなく正確に彼ら自身の頭の中に再現できなければ気が済まず、そのために必要と思われる情報をひとつ残らず列挙することに強迫神経症的なこだわりを抱いているかのように見える。


 これらがたとえば推理小説なら、事件の謎を解く鍵になるかもしれない「事物の描写」に細かさや正確さが要求されるのは当然だし、読む方も血眼でそれらを記憶しておこうとする気にもなるだろう。しかし見たところ、これら執拗な描写を記憶しようとする努力が、読み進めていった先で少しでも報われるケースは、この作品集について言えばひとつもない。


 この一見なんの必然性もない細かすぎる描写が、僕の脳に拒絶反応を起こさせる主要な原因なわけだが、もちろん、それだけで語り尽くせる作品群ではない。読み終わった後の第一印象は、どちらかと言うと混乱し、錯綜したものだったが、なにか心に引っかかるものがある。
 そこで、便宜上、作品群をその性質によって3つのグループに分類し、それぞれについて見ていくことにしよう。

●グループ1:パロディ風味のメタフィクション
『シンバッド第八の航海』『アリスは、落ちながら』『探偵ゲーム』『クラシック・コミックス ♯1』


 正直なところ、メタフィクションにはもううんざりだ。それは、「たいしたものだ」という気持ちしか起こさせない。パロディも笑えるものならいいが、ペダンティシズムにまみれたそれは、コレクターズ・アイテムとしてしか価値を持たないリミックスCDみたいなものに過ぎないのではないか?

●グループ2:シブいスリップ・ストリーム
『青いカーテンの向こうで』『セピア色の絵葉書』『雨』


 スリップ・ストリームと言えばこの作品集全体がそうであるとも言えるが、その地味さや詩的な叙情性がとりわけ際立っているシリーズとして、この3編を特にそういう位置づけに置くことにする。どこかしらブラッドベリや、最近の作家ではケリー・リンクなどにも通じるような、底知れぬ無気味さを湛えた幻想的な筆致が心地よい。このシリーズでは、くだんの「執拗な描写」も、ある「雰囲気」を醸成する小道具としてそれなりに活かされているように思える。

●グループ3:ボルヘス調インテリ寓話
『ロバート・ヘレンディーンの発明』『バーナム博物館』『幻影師、アイゼンハイム』


 「想像力=創造力」をめぐる3編。ボルヘスよりもむしろテッド・チャンと言った方が近いかもしれない。しつこい描写も、より必然性を持って有機的に作品の意匠と結びついている。なぜなら『ロバート』はまさに「細部の想像」によって「存在」を作り上げる話だし、『バーナム…』もまた、ディテールこそが命を持つ「博物館」の話だからだ。『幻影師…』も『ロバート…』に近いモチーフを扱っているが、そのわりに不思議と筆致は淡々としており、したがって僕にとっては最も読みやすい1編だった。寓話性を前面に押し出したせいだろうか。