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「物語/アメリカ/鋳型(プレス)」 松浦綾夫


 気づけば、10年以上も前からとぎれなく新作の出るオースターはいつも話題になり、天邪鬼な私はあえて読まずにきた。今回、はじめて『鍵のかかった部屋』を読み、驚いた。これはまるで村上春樹の『羊をめぐる冒険』であり、『ダンス・ダンス・ダンス』であり、『国境の南 太陽の西』ではないか。文体も比喩表現もそっくりだし、柴田元幸の訳文がその傾向にますます拍車をかけている。
 
 なぜこの二人の作家の世界観は酷似しているのか。
 

 普遍化し、大多数(マジョリティ)となったアメリカ人のライフスタイルは、そのまま春樹の、伝統的日本小説と切りはなされた設定として作品にあらわれる。翻訳をとおして春樹が身につけた文体もまたアメリカ仕込みだ。失踪し終章まで姿をあらわさない友人、妻子さえも共有する双子のような二人、のこされた小説が話題を呼び仲介した僕にも金と名誉が手に入る……そんなストーリーに加えて、世俗的な栄光を拒否し、人生に意味を求めることの不毛、生の虚無が浮き彫りになる。この手触りも春樹そのものである。


 この小説をテクスト論的に読解したり、確たるテーマ性を求めることはあまり意味がない。それは村上春樹が常々自分でもなぜこうした筋を書くのかわからない、と発言しているように、オースターの主人公も意のおもむくままに物語を動かしているからだ。……


 先頃東京で開かれた村上春樹国際シンポジウムで世界中の翻訳家・研究者が、初めて読むのに我がことのように違和感なくスッと入っていけた、と村上文学について述べていた。オースターの文学もまた世界各地の日常という地層の下に、どこまでもじわじわと滲んで広がる不気味で無個性な…アメリカという物語、そして、物語=アメリカという、ひとつの鋳型に他ならない気がした。


村上春樹の『羊をめぐる冒険』を100点とした場合、70点(『羊…』の方がリリシズムあふれ、日本固有の表徴を鋭く突いた問題提起があるから)