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「二度目の青春のハンパな終わらせ方」南野うらら


 きっと二種類の青春がある。十代終わりから二十代初めの頃。もうひとつは、二十代終わりから三十代初めの頃。最初の葛藤は、恋愛や友情の成就、将来の目標を意識すれば未来はひらかれる。けれど実際に重要なのは後者の方だ。引き伸ばされたモラトリアム。さあ、強制終了の時間だ。そろそろイエスかノーか、選びなさい。あなたは終わりのある時間を生きている無数の人間のひとりに過ぎない。人はこの時期に、もう一度、自分自身の最も大切にしているものとそうでないものを判断して選り分けねばならない。


 ポール・オースター鍵のかかった部屋』は、こうした二度目の青春の終わりをロマンチックに描いた小説だと思う。美しいファンタジーだ。「僕」はかつての親友ファンショーを愛していて、かつ憎んでいる(ことをふいに発見する)。


 この設定の幸福なところは、ファンショーもまったく同じ強度で「僕」を意識していて、思わせぶりに失踪した挙句に脅迫状(ラブレター?)までくれることだ。現実には、こんな都合の良い…と言って悪ければ、“幸福な関係”なんてそうそうあるものじゃない。


 もしかしたら、ファンショーは実在しない人物なのかもしれない。私にはよくわからない。ラストシーンで「僕」はなぜ、何としてでも鍵を壊さないのだろうか? いっそのこと、ファンショーに撃たれて死ぬことを選ばないのか? あるいは毒を飲んだと叫ぶファンショーの死体を、どうして確認しないのか? そこまでしなくては、本当は終わらないんじゃないか。


 ね。ま、でもしょうがないか、作家だから。だってこういう曖昧なラストの方が、やっぱりロマンチックなんだから。というわけで、徹底的におとぎ話なんだな、やっぱ。悩める青年のための、美しい(ということは甘い嘘でできた)小説ですね。


 というわけで、同じアメリカ人の夢見るジャーナリスト、エドガー・スノーの大間違いの名(迷)作、『中国の赤い星』が100点として102点。