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極楽寺坂みづほ『鍵のかかった部屋』書評(採点付き)


『魔王』(伊坂幸太郎)を100点として370点


 オースターは「引き裂かれた人」だ。聖と俗、孤高と迎合、唯一性と凡庸性、どう言ってもいいが、彼を引き裂いているのはこの「高みと低み」の両極だ。一部の評者が絶賛する「孤高の」詩人として終わるにはあまりに器用すぎ、俗受けのするベタなメロドラマ作家に終始するにはプライドが高すぎる。これは憶測だが、彼のそうした二面性・自己矛盾は、書き手としてだけではなく生活のあらゆる領域にわたっているのではないか。良識あるよき夫でありよき父親であることもできるが、一方でファンショーのようにすべての係累を捨て去っての失踪を夢見る瞬間がある。


「ニューヨーク3部作」は、オースターがまさに自分の中のそうした衝動にカセをはめる過程そのものの記録だったのではないか。ファンショーの奔放な生き方をめぐる叙述の中に、あからさまにオースター自身の履歴を思わせる部分が大量に含まれているのは、自身の経験を順当に「創作に活かした」というより、文字通り自分自身を、「ありえたもうひとりの自分」を描くことが目指されていたためなのではないか。しかも彼は、ファンショーとして描かれた自分を、なんらかの形で抹殺する必要があった。それは、3部作の中でこの『鍵のかかった部屋』が最も抽象度の低い水準で書かれていることと、おそらく無関係ではない。ここで彼は自分のオブセッションにひとまず区切りをつけ、俗世と和解することを試みたのだ。