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ナジャってなんじゃ?(勝手に読んで何がいけない!) 奈保千佳


 シュルレアリスムというと私は文学より美術の方に馴染みがあり、小説を読むのは多分初めて。読みはじめてうーん、よく分からない。読み終えてもなんか狐につままれたような、感じ。でも、なんだかとっても切ない気持ちになる。ナジャに会いたいっていう著者の想いだけが残る。ナジャってブルトンにとってはファムファタールなのかも知れないけど、こいつ客観的に見てみると、ちょっとやばい不思議ちゃんだよ。


シュルレアリスムの女神とかいうけど


 シュルレアリスムの女神といえば、やっぱりサルバドール・ダリの妻、ガラが有名。ガラはポールエリュアールの妻だったのだが年下のダリのもとに走る。で、ダリはガラこそが僕の想像力をかきたてるミューズと崇め、様々な作品にガラを登場させる。が、しかし、ここで突っ込みを入れたくなる。「ガラってそんなにいい女なの?」


 だって、客観的に観て、特別美しいわけじゃないし、何か創作活動が出来たわけでもない。そういう意味で行くとまだ、オノ=ヨーコの方が優れている。となれば、ガラっていう人はシュルレアリストの二人を手玉に取るくらいのなにかフェロモンを発していたとしか思えない。だいたいシュルレアリストって、時代の寵児みたいにもてはやされていたけれど「こんな難解な僕の世界を理解できる人間はいないかもしれない、どうしよう・・・。」みたいな感じで、震える仔犬ちゃんみたくぶるぶる、心配でしかたないよーっていう感じだったのでは。で、同じような志の人とつるむが、結局そいつらはライバルだし。だからそんな時に僕の芸術を理解してくれる女の人は、女神に写ってしまい、どっぷりはまってしまうのかもしれない。そういえば、メキシコのシュルレアリスムの女流画家、レメディオス・バロシュルレアリスト仲間うちでは10くらい年齢のサバを読んでいたらしい。シュルレアリスムといっても、結局は男性至上主義で女性の芸術家も認めるが、所詮女は女。ミューズや取り巻きの女は若ければ若いほどいいみたいな発想があったようだ。バロはここに限界を感じていたと後述している。


ナジャってどんな人?


 話を戻す。ナジャってどんな人なのだろう。まずその目の描写が印象的だ。黒く縁取られたアイメイクが印象的な女性である。(日本で言うところの草間弥生みたいな感じか?)で、二等車に揺られ、街をさまよい歩くのが好きな女。なんか、夢遊病患者みたいな人?黒く縁取られたアイメイクは単に寝不足のクマだったりするんじゃないかな。ナジャによってブルトンは痛いところを突かれる。それは、ナジャがブルトンの美点としてあげた「単純さ」という表現だ。

「さらにしばらく彼女は私を引きとめて、私のうちの何に動かされたのかを言おうとする。それは私の考え方のなかに、私の言葉づかいのなかに、私のありよう一切のなかに見られるもの、そしてその点を誉められることこそ生涯を通じて私の最大の弱みのひとつであったもの、つまり単純さだというのだ。」(p66-67)


 ここで、彼はナジャに魅了されてしまう。精神病院に入っていたことのあるナジャの精神は、理屈ではなく、物事を直感的に判断することのできる子供のような鋭さを持っている。シュルレアリスムという名で武装して複雑なことをやっているように装っている、彼の核の部分にあるのは実は単純さであった。「大様の耳はロバの耳」ではないけれど、真実をズバッとついてくるナジャに彼はたじたじになってしまう。


ナジャって実在するのか?


 ナジャは実在しないと思う。私にはナジャのすべてがブルトンの空想の産物に思える。空想の産物としてのナジャを登場させ、自身と対話することで心の渇きをうめているように思える。例えば、レストランに1人で入っても、向いにもう一人の自分であるナジャを座らせ、対話をしていくことでより、クリアに自分の考えをまとめていくというような作業を見ているようだ。挿入されている街の風景も動きがなく静かで人もまばらだ。これを見る限りは1人で見ている風景に思えてならない。ナジャが描いたであろう素描の数々も、ブルトンがナジャだったらこんな絵を描くのではと思って描いたような絵に見える。結局、ナジャなんて人はいなくて、ナジャのような人物は自分で作り出すしかない。自分を一番よく理解しているのは自分なんだなぁ。とナジャを執筆する過程でブルトンはきっとそう思って、涙ぐんだりしていたのだろう。多分。こじつけるなら最後の一文がヒントになるのではないか。

「美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう。」(p163)


 美の象徴として描かれているナジャ。だから美=ナジャとするなら、ナジャは痙攣的なものか存在しないものと取れるのだ。