『ナイス・ナイス・ヴェリ・ナイス! 〜五木寛之「白いワニの帝国」を読む』 辻夏悟
五木寛之氏の「白いワニの帝国」を読む。
おいおい。何だよ、この面白さ。
一体、このハッピーな感じ、ライトな感じ、ポップな感じ、ナイスな感じはどこから来ているんだよ。
まさにナイス・ナイス・ヴェリ・ナイスじゃないか。
日々、ナイスなものの方へ、一歩一歩近づいて行こうと心がけている、僕のようなペラペラ人間には見過ごすことのできない小説だ。
正直、高橋源一郎氏の小説に似ている。
正確に言えば、五木氏の小説が、高橋氏に影響を与えているのか。
とりあえず共通点を列挙してみよう。
①現実とフィクションをフラットに繋げる、ポップアイコンの使用法
本作では、永六輔氏が大々的にフィーチュアされている。作品への登場の仕方は唐突だが、不思議とすぐにフィクションに馴染んでしまう。「永六輔おじさま」という表現がうまい。
②反復が多用される会話文
主人公の少年と「永六輔おじさま」の会話。「アメリカは大変ですね」「大変ですね」。「ありがとう」「ありがとう」。「さよなら」「さよなら」。ん。高橋源一郎氏の会話文というより、初期の村上春樹の方に近いのか。とまれ、どちらもポップであることには変わりない。
③大人びた子供の人物造型
高橋氏の『優雅で感傷的な日本野球』、『ゴーストバスターズ』、『ペンギン村に陽は落ちて』に、こんなキャラクターはいなかったか(と、同意を求めて、とりあえず呼びかけてみる)。
④大統領と調査官の会話
高橋氏の処女作『さようなら、ギャングたち』冒頭の大統領と側近の会話は、この作品に出てくる大統領と調査官の会話に対するオマージュか(どういうオマージュだよ)。
⑤カストリーノ・ゲバラーノというDJ名
これは当然のことながら、高橋氏の『虹の彼方に』の主人公と同棲している「パパゲーノ」というキャラクター名の中に受け継がれている。
この作品の中で、時代は「ベトナム戦争が起こるもっと前」、「朝鮮で戦争をやっていたころ」と、アメリカの歴史軸で表現される。また主人公の子供は、アメリカの大統領宛に手紙を書き、電話をする。これは『虹の彼方に』における日本とアメリカの距離感とパラレルをなす。
というわけで、五木寛之氏の「白いワニの帝国」が高橋源一郎氏に与えた影響は明らかである。
さて、僕は五木寛之氏の作品を、短編2つしか読んでいないわけなのだが、この時点で宣言してしまいたい(なんてったって、この文章を書き始めてから20分経っているのだ。僕は一日に30分しかBLOGに時間をかけないと決めている)。
そう。
これは「ポップ文学」のハシリであると。
「W村上以降のポップ文学」ではない。
「五木寛之以降のポップ文学」なのである。
(了…でいいのか?)