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吉田健一にまつわるエトセトラ「U研編集委員による言いたい放談」③

旅の時間 (講談社文芸文庫)

旅の時間 (講談社文芸文庫)

■前回までのあらすじ

乗馬中に、未来帝国人ボーリーヌに捕獲され、30世紀の未来へと連れ去られたU研編集委員の3人。そこは女子が男子を支配する女権主義の帝国だった! 貴族として遇されることになったid:URARIA。彼女は、辻と松浦を私有家畜とする決意を固め、二人に生体加工を施すのだったが…!?

■登場人物

会長:松浦アヤヲ。U研の会長。現在、愛玩動物
南野:南野うらら(id:URARIA)。編集委員。コトヴィッツ侯爵家の養女。
辻夏:辻夏悟。編集委員。現在、肉便器。

会長:ヨシケンの『怪奇な話』、最初の話だけ読んでずっこけたんダ。つまらない…。
辻夏:あ、そう? ていうか、それ課題図書じゃないし!
会長:おで、こんな閑雅な物語につきあってる暇ない…。澁澤のタッちゃんのほうが1000倍好きだ…、サービス精神なさすぎなんだ…………というような評価を、まだ1ページも読んでない課題図書『旅の時間』で取り戻したいね!
辻夏:『怪奇な話』の一話目って「山運び」だっけ? じつは、ぼくもあの作品以降読んでない(笑)。しかし最晩年の『怪奇な話』をいきなり読むとは変化球すぎるよ。
南野:以前、読書会に参加していただいた仲俣暁生さんの『極西文学論』が『怪奇な話』に触れているよね。
辻夏:『極西文学論』には、『東京の昔』や『瓦礫の中』も取り上げられていますた。吉田健一論って、結局、「ヨシケンLOVE!」で終わっちゃうのが多いんだけど、仲俣さんの文章はわりと中立的に論じていてヨカタ。それにしても、ヨシケンって、特定のサークルの人から偏愛されるようだが、その理由はなんだろうね。
会長:HA! みんな、本質の周りのふわふわしたものを偏愛する「貴族」だ、ってことですよ(けっ!)。文学のための文学。だから、ヨシケンの文学では人は救えないんです。だれも救えない文学なら意味はないのです!
南野:いやまあ意味がないとは思わないけど…。
辻夏:(吉田健一ファンなのでムッとして)本質で人は救われますか? それとも「本質を求める」という姿勢が人を救うのですかね? しかし、それであれば本質も周辺も、なんら変わりありませんYO! そもそも「救う」ってなんれすか!?
会長:むぐう…(怒)!
辻夏:で、話を戻して…、ヨシケン好きは、だいたい内田百輭好きでもありますよね。ここらへんの秘密も知りたいところです。やはり、どちらも周辺ということ?(誰かも言っていたけれど、吉田健一小林秀雄サークルの周辺、百輭は漱石サークルの周辺であり…)うーん、つくづくサブカルの時代ですなあ(SPAの福田和也風に)。
会長:金春屋ゴメス!
辻夏:!?
南野:!?
会長:辻君は、全然っわかってない! 「中心=周縁」とか、アタマで理解するのはカンタンだが、実感がともなってないZYX! 独善的といわれれば、それまでだけど、やはり文学は、「私」から出発するしかないンダ!
辻夏:「私」、「私」とかいうが、自我が世界と溶解してしまった吉田健一の世界は、それこそ究極の「私」小説、至高のセカイ系だ! 
会長:(話をさえぎって)ちなみに、私は内田百輭も好きだし、小林秀雄だって好きだ。でも、そういうことじゃないんだ。「文学に救いがあるか」という問題については、(古風ですまないけれども)漱石の『それから』、『行人』や、大島弓子の「ドストエフスキー罪と罰』」やサンテクジュペリ『星の王子さま』や井伏鱒二の「黒い雨」や小山清の作品を読んで体感してもらうしかない。ようするに、ぼくらは「文学に生かされている」ということなんだ!
辻夏:な、なにをー(怒)!
南野:文学狂人がきた…! KI-TA!

(文学のあり方をめぐる辻と松浦の対立! U研分裂か、解散か、散開か、終了か? ……それとも!? これでいいのか? これでいいのだ! 以下、読書会に続く!((C)SPA))

家畜人ヤプー〈第3巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

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