●1999年から続く文化系サラリーマンたちの読書会。白水社さんを勝手に応援中です。
●メールはu_ken7@yahoo.co.jpまで。
●当ブログのコンテンツ
U研って何?メンバーこれまでの歩み活動レポート掲示板リンク集

レポート提出再び


黒い時計の旅 (白水uブックス)

黒い時計の旅 (白水uブックス)


 昨日、読書会のレポートをアップして、ほっと一息ついていると、その6秒後にU研の会長から「辻くん。何、会社帰りの電車で思いついたようなポエムをアップしてんですか。全然、意味が分かりませんでしたよ(げらげら)」というメールが来た(実話)。


 だから、また会社帰りの電車の中で色々と考えて、ちょっとポエムに加筆しますた。意味は相変わらず分かりませんが…。



 「スティーヴ・エリクソンによると世界は」 辻夏悟

S.E 本質的には、ぼくの書いているのは因習的とはいえなくても至って伝統的な小説なんだよ。というのも、扱っている葛藤や主題が、いわゆるポストモダン作家とはおよびもつかないくらい伝統的だから。(ラリイ・マキャフリイ『アヴァン・ポップ』P245)

S.E (略)『黒い時計の旅』のような小説の場合、必ずしも歴史改変を中心に据えようとは思わなかった。むしろ、いったい歴史を変えたのは何だったのかということ、それこそは、ぼくを魅了してやまない問題だったんだよ。(同 P246)


 北米マジックリアリズム、歴史改変小説、アヴァン・ポップ、ポストモダン小説、へヴィメタ小説――――。
 スティーヴ・エリクソンの小説を評する言葉は無数にある。しかし『黒い時計の旅』を読むとき、それらの評言に惑わされて、このテクストの核となる部分を見過ごしてはならない。 
 これは何より、古典的な「愛をめぐる物語」なのである。


 このテクストに散在する幾つもの愛。
 ヒトラーからゲリへの。ゲイラからバニングへの。バニングからデーニアへの。バニングからメーガンへの。バニングからコートニーへの。メーガンからバニングへの。メーガンからコートニーへの。デーニアから男たちへの。ブレーンからデーニアへの。ジーノからデーニアへの。デーニアからマークへの。マークから青いドレスの娘への。
 そして、バニングからヒトラーへの。


 愛は円環する。


 しかし、このテクストの中では、肝心の「愛とは何か」という問題は一度も問われることがない。
 「愛とは愛である」。それは揺るぎの無い前提としてある。


 『黒い時計の旅』において、愛は、常に暴力的な形をとって表れる。
 バニングが自分の母を知ったとき、ペンシルヴェニアの農場には圧倒的な暴力の嵐が吹き荒れる。ブレーンがデーニアを見た/愛した瞬間、無数の男たちが死に、バニングがデーニアを見た/愛した瞬間、歴史の濁流は二つに分裂する。デーニアの両親の性交は、時空の彼方から野牛の群れを呼び、一つの共同体にカタストロフィをもたらすことになる。※1

 
 しかし、何ということだろう。このテクストで、最後に世界を救うのは、やはり愛の力なのである(そう、まさに「愛は地球を救う」のだ!)。

そしてどこかで、決して与えられることのなかった許しの沈黙のさなかに、平行して流れる二十世紀のふたつの川、彼女が私を見た唯一もうひとつのあの瞬間に分岐したふたつの川が、いままたひとつに合流する。(P430)


 愛は、エリクソンの処女作である『彷徨う日々』から『ルビコン・ビーチ』、『リープ・イヤー』と、主要な作品を貫くモチーフである。それは『黒い時計の旅』に続く『Xのアーチ』でも繰り返される。
 描かれるのは、アメリカの建国の父トマス・ジェファソンと、その黒人奴隷サリー・へミングスとの間の禁断の愛だ。エリクソンは、アメリカ史の起源にすら、一つの愛を幻視(C巽孝之)してしまう。


 エリクソンの、愛に対するオブセッションの意味するところは何か。
 エリクソンは『黒い時計の旅』の中でバニング・ジェーンライトに次のように語らせる。

 (略)夜明け前の静けさの中で、その炎に向けてあたり一帯が叫び声を上げているのが聞こえる。叫びと笑い、神を讃える喝采
 神なんて全然関係ないのに。(P77)

(略)だが見るがいい、神のパンツには人間の糞がついているのだ。(P360)

 
 自身の書くポルノグラフィーの中で、バニングは神のように君臨する。


 神の権威が失墜した二十世紀。エリクソンのテクストにおいて、その死んだ神に代わるのが愛である。愛は超越的な場所で、エリクソンが書く世界の存在を支えている。
 もはや歴史を動かし、人を殺戮するのは、神の役目ではない。
 それは愛の役目となる。

 
 また、愛は物語自身を稼動させる力でもある。
 80年代、神も愛も欠いたミニマリズム小説ブームにうんざりしていた読者に、語りの面白さを復活させたエリクソンが熱狂的に受け入れられたのも当然かもしれない。



 この物語は、愛の構造と同じように、一つの環を描いて終わる。マークは愛する青いドレスの娘を失った後、北へ、北へと向かう。

一方の端から世紀を出た彼は、こうしてもう一方の端からふたたび世紀に入っていった。(P442)


 スティーヴ・エリクソンによると世界は愛でできている。


※1 この小説を執筆当時、エリクソンの結婚生活は破綻寸前だったという。『黒い時計の旅』に満ち満ちた愛の暴力性の起源を、そこにもとめることは短絡過ぎるだろうか