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レイモンド・カーヴァー全集の背表紙を見てたら、色々なことを思い出した。

The Great American Novel. Deutsche Ausgabe

The Great American Novel. Deutsche Ausgabe

FPの勉強をしていると「ライフ・プラン無き、ファイナンシャル・プランニングはありえない」とある。そうなのか。今の僕にはライフ・プランと呼べるものは正直、無い。

大学時代までは、あった。僕はアメリカ文学・文化史研究家になりたかったのだった。それで一生食えたら、どんなに素敵だろうと思っていた。

あの頃は、本気だったなあ。お勉強ができなかったから諦めたが。。。。(肝心の英語が苦手だった。あっは)

将来の研究(?)に役立てるつもりで、レアなアメリカ文学の翻訳本を古本屋で漁るのが当時の楽しみだった。

福武文庫のヘンリー・ミラーや現代アメリカ文学集英社文庫の・ジェイムス・ボールドウィンや、フィリップ・ロス。角川文庫の初期のサリンジャー。昔はいい作品が文庫に入っていたもんだ。

フィリップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』なんて、友達にあげる用に2、3冊持っている。地方の小さな古本屋の100円コーナーにこっそり隠れているんだよね。ポップで笑えて泣けて、人生を続けていくことにポジティブな気持ちが持てるような本だ。心がすーっと軽くなるような。ロスの『乳房になった男』はシカゴの日本人向けの古本屋で見つけた。

アメリカの音楽を聴くのだって、勉強だった。全く意味が分からなかったが、フロイドもラカンデリダも勉強してみた。なんかもう生きること全てが、目的に達するための勉強だった(肝心の大学の勉強をあまり真面目にやらなかったことが悔やまれる)。

当時は、周りの人には、研究を続けたいなんて、ひとことも言わなかった。「アメリカ文学じゃ食えませんYO!」と担当教授には言っていた(それで食っている人に向かって言っていたのだから失礼な話だ)。実際は、自分が研究を続けたいのが、社会に出ることを先延ばしにしたい欲望から来ているのではないかと疑っていたのだった。

何となく「逃げ」で文学を選ぶのは嫌だなと思っていた。報われない努力をしてみて、自分の頭の悪さを自覚するのも怖かった。結局、社会に出ることだって、ある意味、「逃げ」だったのかもしれない。

あのまま続けていたら、どうなっていたのだろうか? 社会人になったばかりの頃は、時々、そんなことも考えたが、最近では当時を思い出すことも、あまりない。

部屋の本棚に詰まっている大学時代に集めた古本を見るたび、処分しようかどうか悩むのだが、結局捨てることはできない。たぶん、それがある限りライフ・プランなんてできないような気がしている。