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負け犬の遠吠え

負け犬の遠吠え

負け犬の遠吠え

遅ればせながら(←遅れすぎ)読んでみる。「負け犬」は今年の流行語にも選ばれていましたね。

とりあえずパラパラ読んだだけなのでメモ書き程度に。

1)今まで、存在はしていたけれど見えなかった特定の層に「負け犬」と名前をつけて、可視化した功績はとても大きい。

2)未婚、子無し、30以上=「負け犬」、既婚、子有り、30以上=「勝ち犬」と乱暴に定義することの面白さは認めるものの、乱暴すぎて、逆に見えなくなるものもあるような気がします。

3)希望がないのです。この本を読んだ限り「勝ち犬」にも「負け犬」にも、僕はなりたくなかった(もちろん僕は男です)。たとえば、既婚、子無し、30以上という、そこら辺に当たり前にいる人たちの生の可能性はどうなるのだろう?
そういう「第3の道」の可能性には、この本では、ほとんど触れられていない。(とか言ってますが、パラパラ読んだだけなので、どこかに書いているのかもしれないんですけど…)

4)「負け犬」の特徴である(らしい)「恋愛至上主義」というのは、よくよく考えると凄い。恋愛なんて、しょせん「熱くなって、冷める」を繰り返す、単なる温度変化ではないか(←何か極端なこと言ってますが、あまり気にしないでください…)。さすがに何度もそれを繰り返していると飽きはしないか(おいおい)。
温度変化以外の異性間の関係(それこそ「結婚」とか)を追求する方が「好奇心追求」を至上命題とする(?)「負け犬」らしいと思いました。もしかしたら「飽きる」ってのも、ひとつの才能かもしれませんが。

5)ちょっとイメージで論を展開しすぎかなー、と思うところも多々ありました。例えば、男性に誘われた場合、多少話が面白くなくても、将来性のある若い未婚の商社系男についていくのが「勝ち犬」、話の面白いマスコミ系の既婚中年男についていくのが「負け犬」という分析があります。
僕は、たまたま仕事でマスコミ関係の人と接する機会が多いんですけど、マスコミ関係者の中の面白い人の比率と、一般の会社員のそれとたいして変わりません。年齢についても同じことが言えます。
そもそも、そういう「マスコミ=面白い」的なイメージって、逆説的に「勝ち犬」的な凡庸さを秘めていないでしょうか?

6)酒井順子さんが採用した文体が個人的にちょっと苦手かな。逆に、学術論文みたいなクールな文体のほうが、この本を素直に楽しめる気がする。でも「負け犬の遠吠え」というタイトルだと、やっぱり、こういう文体になるのだろうな。

7)「イヤ汁」などの造語センスも苦手です。なんか過剰にエッチな感じがする(もちろん、「イヤ汁」とは、そういう意味の言葉ではありません)。まあ、エッチであることは悪いことではないか。………なんだか、だんだん、この単語を見ているだけで興奮するようになって来ました(←馬鹿)。

8)この本の構造は、同じところをぐるぐるうねうねと回る循環構造になっています。「勝ち犬」的な人生が結婚→妊娠→子育て→云々とビルドゥングス・ロマン的に一直線に進むものだとすると、「負け犬」的な人生は、恋愛したり趣味をしたり仕事をしたり、恋愛したり趣味をしたり仕事をしたり…と循環を永遠にくりかえしていくもの。つまりこの本の構造は、図らずも「負け犬」的な生を反復しているといえます。

9)どうも僕は、この本に反発(?)を感じてしまっているようです。それはやはり僕という存在が、結局は「勝ち犬」の子供にすぎないということに起因しているのでしょうか。もちろん「負け犬」の子供なんてものは、酒井さんの定義に照らせば、存在しないのですが。


以上、極論も多数含まれていますので、話半分で読んでいただければ幸いです。