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松浦綾夫「『私』が世界と繋がるための物語 〜佐藤泰志「海炭市叙景」を読む〜」


 私にはちいさな子どもがいる。半年ほど前からようやくひとりで歩けるようになった。言葉も、単語を50個くらい、たどたどしく口にできる。絵本を見るのが好きだし、絵を描くのが大好きだ。ひまさえあれば、スケッチブックにクレパスで色を塗っている。まだ具体的なかたちを描けない。腕の力いっぱいに線をひっかく。線が、腕のうごきそのままに紙にのこる。緑、とか、赤、とかを真っ白な用紙に力いっぱい塗る。疲れるまで塗ってはやめる。前になにか描いた余白を見つけてはまた描く。そのくりかえしでひと月ほどで一冊のスケッチブックを描きつぶす。描いているのを後ろからのぞきこむ。我をわすれて線を走らせている。この幼児のどこからひたむきさが出るのかと思う。きっと楽しいのだ。力まかせに線を描きこむのが愉快だからやるのだ。できあがったものを見ると、ふしぎなことが起きる。その色が走っただけの線で構成された画面は、どういうわけか、いのちの光輝に満ちているのだ。親の欲目と思うかもしれないが、うまいへたは関係ない。単純な色彩の動線が生み出すかたちから、生きていて楽しい、その思いだけがはっきり伝わってくる。楽しい、という感じだけが転々とした線に託されている。


 人はいったい、何歳頃から自分の生命を有限だと感じ、生きあぐねるのだろう。そして、あらゆることに諦観をいだき、死を意識するようになるのだろうか。佐藤泰志の「海炭市叙景」を読むと、結果的な未完の遺作であり、しるされた内容の重さと相まって、創作物としてもつ意味を考えてしまう。私の子どもが描く絵は明るい。希望と光だけしかない。「海炭市叙景」で紡がれる18人(組)の登場人物たちが織りなす物語とは、一条の光と大部分の影のあやなす世界なのだ。人間が歳をとる、成熟する、死に近づいていく、という感じは、まさにさびれゆく老成した、海(海港)と炭(炭鉱)が化す町=「海炭市」の「叙景」(情景ではない点に注意)として佇む。 



 私は最初に「海炭市叙景」を読んだとき優れた連作短篇に胸ときめきながらも、全体として物足りないところがあった。それは登場人物たちの弱さであり、人間的なもろさだった。大部分がそうではないが、小市民的な生活、後ろ向きな生き方を描いた数篇があり、いらいらさせられたのである。特に第二部の登場人物たちにその印象を感じるし、今でもその読み方は変わらない。私は「そこのみにて光輝く」や「黄金の服」の主人公たちの年齢に近く、彼らの生き方のほうが自分を投影して見られたのである。佐藤泰志の小説の特質のひとつは、青春小説であり、働く人々が多い。それも様々な職を転々とした本人と重ねるように、肉体労働者が多かった。先の二作以外にも、「空の青み」、「水晶の腕」、「移動動物園」、「オーバー・フェンス」など、過ぎ去ろうとする青春の予感を抱きつつも、まだ若い主人公たちの生き方の迷いが、自分には沁みた。またそこであらわされる労働の風景が、かりものではない、言葉だけではない、作者の体験、観察に裏打ちされていることは、文章から容易にわかった。突然表出する暴力やセックスの正体も、私にはわかる気がした。その行為の正当性には疑問なところも多いのだが、むしろ、得体の知れない生の運動、とらえどころのない蠕動をそのまま伝えるとこうなる、こうでしか書けない、という感触が、これ以上かりこめない短文の、詩的な輝きをもつ、息をつめた文体で表現され魅了された。生のありようを見つめ、とりだすことに、まじめな、まじめすぎるくらいの作風で、そこが魅力であるとともに、評価されにくいところだった。


 「海炭市叙景」にはじめてふれたとき、22歳だった私はまだ若すぎた。まだ実感として遠い世界だったのだ。今、家族もいて、子どももいる。会社員生活を十年近くつづける身として読み返すと、18人(組)の登場人物たちが織りなす物語は、身近に感じられる。これは希望のある小説ではない。終わりゆく青春に、ため息をつく。生活に疲労し、先行きの見えない人生の折り返しに立つ人々の物語だ。登場人物たちの疲れ方が、今の私には親しい感覚だ。見るべきものはだいたい見た人間の、世の中への期待もあまりない、あきらめにも似た内面が語られる。だが、それだけじゃない。影だけではなく、光が差しこんでいる。どの物語も暗鬱さ、沈鬱さに塗られながらも、最後に光がさす。これは再生の物語だ。さびれゆく町、打ち棄てられた北方の都市でうごめく、貧しく力ない人々。そのだれもがだれかに似ている、と思ったら、これは私たちの物語だ。退屈で、疲労の濃い日常のなかにも一閃の光がかならずある。それを、日常生活そのまま繊細に写すことに佐藤泰志の力がある。その日常がむだではないことも。


 個人の、あるいは若者たちの生活を描いてきた佐藤泰志が、なぜ晩年「海炭市叙景」を構想したのだろう。これは物語の力をしめした作品だと思う。「私」の小説ではない、「みんな」の物語である。繋がる、ということは佐藤泰志の物語の主調低音だった。男同士の、男と女の、時には複数のグループの、繋がり。ゆるやかな、あるいは尖鋭的な繋がり。それは最終的に世界へ向かった。世界とはなにか。物語作者にとって、「私」(個人)をとおして世界にいたる方法はひとつしかない。それは偏在する無数の人々になりかわることだ。年齢も立場もちがう人々、他者の心を代弁してみることだ。思想信条じゃなくて、生活のリズムや生理で。


きみの鳥はうたえる」から「移動動物園」みたいな作品、時折書かれた詩にしめされる世界への矛盾や拮抗。しかしその先にゆるぎない世界があることを、繋がっていけることを佐藤泰志は確信してやまなかった。私はたぶんその一点において佐藤泰志を全面的に信頼している。



 海炭市はこんな風に描写されている。

去年の春、兄の勤めていた小さな炭鉱は閉山した。/元々、海と炭鉱しかない街だ。それに造船所と国鉄だった。そのどれもが将来性を失っているのは子どもでも知っていた。/わたしたちの父も鉱夫で、ささいな事故のために死んだ。
 (「まだ若い廃墟」)

今、満夫が立っている場所は砂嘴だったのだそうだ。何千年前か何万年前かは知らない。とにかく想像もつかない厖大な年月をすぎて、砂や石が海底に堆積し、陸地としての姿をあらわし、海の中にぽつんと孤立して浮かんでいた島と繫った。その島は、今ではなだらかでふっくらとした山であり、砂嘴の上に作られた海炭市の、ほとんど、どの通りからも眺めることができる。(「この海岸に」)

「第一章 物語のはじまった崖」から始まり、「第二章 物語は何も語らず」へは<冬>の物語から<春>の物語へつづき、このあと、佐藤泰志の好きな<夏>、それから<秋>と語り継がれ、各9話×4章、全36話で四季を形作る構成になる予定だった(「海炭市叙景福間健二解説)。だが惜しくも作者の死により中断された。各物語が相互にからみあって話を進める「第一章」と淡々と話が布石されてゆく「第二章」、その後につづく、第三章、第四章がどういうトーンで語りだされ、収束に向うのか、想像するだけでわくわくする着想のうまさだが、未完なのがつくづく惜しい。


 冒頭におかれた「まだ若い廃墟」は正月の函館山に登った兄妹の姿を描く。一緒に登頂しながら、わかれて下山し、兄を雪の中、6時間も待つ妹。両親がおらず、仕事も金もなく、しかし仲のよい兄妹の清冽な結びつき。「海炭市叙景」全篇に響く哀調が切々と迫る。「まだ若い廃墟」を発表してほどなく、佐藤泰志が妹を亡くしたことには、奇妙な偶然を感じる。「秀雄もの」と呼ばれる私小説的連作のひとつ「野栗鼠」は、作者と等身大の主人公・秀雄が妻子と帰郷する話だ。海岸で女の水死体があがるなか函館山にのぼる。ひとつの家族のなりたちが振り返られ、あらわれた野栗鼠の生命感と死が交錯し、きらめく。「まだ若い廃墟」と対をなすような作品である。


「一滴のあこがれ」と「週末」はどちらもよい作品だ。「一滴のあこがれ」で市街に切手を買いにくりだす少年。性へのあこがれとおそれ。からだのなかを駆け抜けるこの時期特有の高揚感を「虹色の輝くが走り抜けた気がした」と表現する「ひとしずくの僕」。この佳品には詩と人生が高次にとけあっている。

ずっと遠くの、でも、たったひとつのことしか見ていない眼。その眼を見た時、すっかり僕はあの子にのぼせてしまった。笑われそうだけれど、スクリーンであの子を見た時、僕が感じたのは、世界、という言葉だった。それは中学生の僕が一度も思ったことのない言葉だ。今日、切手を買ったあと、もう一度、この海炭市で、セカイを見る。
「一滴のあこがれ」

 この「世界」という言葉の使われ方に気がつくと、一気に「海炭市叙景」の読みは豊かになる。「一滴…」が少年が市街を歩く話だとすれば、「週末」は老境の男が市街を路面電車の運転手として見つめる姿が書かれる。間もなく愛娘の出産をひかえおじいさんになろうとする実直な達一郎。娘が選んだ結婚相手は「元スラムの小砂丘の出身」で「五年前まで小砂丘バラックの群れ」であり、父親は廃品回収業だった。だが、達一郎はうけいれる。自分とおなじ月日ほど、海炭市の隅々まで歩いた相手の父親と働き者のその息子をみとめる。互いにまじめに働いた、という力量がつりあい、余計なものがはいりこむ必要はないからだ。ここでは生まれようとする孫の無事への祈りとまるで海炭市という母胎をゆっくり通過する胎児のような路面電車の視界が、運転手の達一郎によりつづられる。どちらもいのちにふれあう作品だ。


「週末」の「スラム」は「そこにみにて光輝く」の舞台「サムライ部落」に接続する。「裸足」で死んだ祖母が働いていたという夜の繁華街をさまよう博が、酒場で出会う奇矯で荒くれた漁師は、「そこのみにて…」の拓児を思わせる。


「ネコを抱いた婆さん」で周辺の農地が地上げされても最後まで愛着ある土地をはなれないおばあさんの述懐は、「鬼ガ島」で取り潰されるビリヤード場に日がな佇み、戦後の思い出話をする老婆とも重なる。


海炭市叙景」はそれまでの佐藤泰志の作品でくりかえしあらわれてきた人物やテーマが流れこみ、結実している。その一方、あまり出てこなかった登場人物を主人公に据えているのが意外なところだ。それは「まっとうな男」で建設現場で働きながら職業訓練校に学び日頃の鬱憤を爆発させスピード違反でつかまり暴れる寛二、「夢みる力」でマイホームを買い子どもに恵まれながらも競馬に大金をつぎこみ借金に追われる広一、「黒い森」でプラネタリウムに勤め自分では満足しているが妻子に認められず近所の森で嗚咽する勉、「衛生的生活」で職場で同僚に侮蔑され仕事の無聊を慰めるように読書や絵画や煙草に興味をもつ啓介。


 こうした中年男性たち、なかばくずれかかった小市民的生活を守ろうとする人々を佐藤泰志は主人公に据えてこなかった。彼らにはもはや青春の影はない。自らの職場での保身と家族の安泰とを、できれば特別な努力をせずに守りたい、そんな怠慢さや傲慢さも見え隠れする、あまり社会から愛されない人々だ。だが、佐藤泰志は彼らを描いた。海炭市に呼び寄せた、ということはその生存に輪郭を与えてみせたということなのだ。若くもなく、労働への愛着もなく、正義感を大事にすることもない。だが、みとめよう、一緒にいこう、というやさしさから生かした気がする。


 佐藤泰志も私同様、若い頃は彼らのようなキャラクターをゆるせなかったのではないか。年をかさね、世界と向きあうとき、彼らの側に立つ視線も、自らの内面をのぞきこむのとおなじように必要になった。


 あるところで佐藤泰志はこんなことを言っている。生前のこした非常にめずらしいインタビューだ。

 僕は人間のすることは何であれ否定できないと思っています。人は何でもする。だからおもしろい。だから好きだ。誤解されやすいいい方ですが、狂気や犯罪も含めて、僕は人間のどんな愚かなことも肯定したいという気持ちを根強く持っています。人は会社や家庭や組織や道徳の中で生きるしかありませんが、にもかかわらず必ずそういう仕組み、つまり世界からずれてしまう、あるいははみだしてしまうものなのです。
(文学界、1990年、5月号)

 佐藤泰志の作品は晩年に近づくにつれ、やさしさを増していったように思う。それから場所へのこだわりも強くなっていった。実質的な遺作である「星と蜜」、「虹」の描かれ方はやさしい。そして戻れる場所としての郷里、そこを動かずにこだわる場所としてのあり方がしめされている。それはなんというべきか、人間の生の一回性について、誠実に考えた結果だった、と思う。「海炭市叙景」はそうした場所の力をよくしめしていた。


「虹」は東京の水甕であるダムと貯水池と釣堀のある村に暮らす青年が都心へ出ようか迷う。いちどは出ると決める。が、出ない。踏みとどまる。結ばれた最後の方の文章はすばらしい。

カーブを曲がった。渓谷とその向こうの山々が視界に広がった。息をのんだ。とてつもなく大きな虹がかかっていた。眼を見はった。
その虹は、両端が、こんもりと樹におおわれたふたつの山にまたがっていた。まるでふたつの山をつないでいるように見えた。そうして、もえるような緑に溶け込みながら、くっきりとあざやかな色を放っていた。
 僕は空に向かって半円を描いた虹の色を数えた。半日ちょっとのことなのに、何日もの日々が重なったような入り組んだ時間をくぐり抜けてきた。そう思った。 
 注意深くハンドルを操りながら、ふたつの山をつないで、空をまたいだ虹に、僕は無心で見とれた。

 なにかを脱しつきぬけたかのような文章がある。ただ私にはこの文章は、美しすぎて佐藤泰志の小説の文体として異質、末期の眼から見た世界の美しさのように思える。これは彼岸の光景なのかもしれない。


 人はみな、生まれ、やがて死にゆく。「私」(個人)が世界と繋がるための物語こそ、佐藤泰志が最後に残した、等身大の生と死の此岸の風景、「海炭市叙景」だったのである。