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「小さいながら巨大な遺作〜中上健次「青い朝顔」を読む〜」松浦綾夫


 「青い朝顔」には、中上健次の小説を読むうえで、最も原初的な、大切な、光景が描かれている。「一番はじめの出来事」が素朴に書かれている。そして、この短篇は中上の膨大な小説群の核となっている。幼き日の健次少年の目から見た、父親の異なる姉たちとの木屑、金屑拾い。戦後の余燼さめやらない「路地」に生きる貧しい家族の光景。この小説はそのことだけが淡々と書かれている。わたしはこの小説が、生前の未発表作であり、短篇を量産した中上の「最後の短篇」であることに驚きを禁じえない。なんと見事な逝きかたであり、なんと小説家らしい置き土産であろう、とあらためてその完璧さに慄然とする。

 日本で未発表の『青い朝顔』は、1991年の年頭にハワイで書き上げ、翌92年の春にフランスのみでごく少数の限定本として刊行された。これは日本語とフランス語の両方で印刷されており、手描きの絵と、紙質や製本に変わった工夫の見られる豪華本である。中上健次が他界したのは92年の夏なので、刊行された時はまだ生きていたのだが、外国で出版されたために不運な行き違いがあり、著者はついにこの本を見ることはなかった。
紀和鏡「最後の短篇小説の行方」(「すばる」1995年7月号)

 わたしは中上健次の小説が大好きだった。とくに『枯木灘』を頂点とする、「路地」を舞台とした作品はどれも好きだった。『千年の愉楽』や『奇蹟』、その周辺に書き継がれた短篇小説も。中上の短篇には過剰な暴力やポルノグラフィックな描写、あるいは神話や古典説話との混淆、往還、幻視が氾濫していた。「路地」という虐げられた場の重力が呼びこむ、あふれたぎる熱情や情欲のすき間に、血と土地の縁が刻みこまれ、人が生きていた。が、「青い朝顔」にはなんの仕掛けもけれんもない。戦後どこにでもあったであろう幼年風景が投げ出されている。自然主義的なリアリズムの短篇で、朝顔が群生しているところと、「路地」の複雑な血縁、家の問題があらわれるところだけが中上らしい。


 くりかえしくりかえし中上健次が夢に見た、思い返したのが「青い朝顔」にある「路地」の光景だろう。「五歳の弟」と書かれる1946年生まれの健次少年だから、時代は1951年頃の新宮である。中上はこの頃をこう回想している。「新宮で楽しかった子供の頃というと、私には、駅のそばの家できょうだい五人、母が行商して生活を支え、暮らしていた頃だが、この祭り(松浦注・新宮の祭り)の日になると、新しい服を買ってもらった記憶がある」(「十津川」『紀州 紀の国・根の国物語』)。


 子どもたちがかすめとろうとする木屑は、熊野の森が育てた美林とそれを運ぶ熊野川の川筋に栄えた材木商の木場にある。短篇集『化粧』におさめられた「浮島」で、一歩まちがえば骨と肉になる険しい山道で材木を運ぶ木馬引きが登場するように新宮には製材所が栄えた。子どもたちが慕う「十六歳で兄を産んだ母は三十二歳だった」という母親は、中上健次の実母・千里であり、やがて長篇『鳳仙花』の主人公フサになっていくだろう。


 中上健次は43歳のとき、こんなことを言っている。

 僕は母親の五番目の子供として一番末っ子でいましてね、お袋はふだん行商して子供を育てていたんだけど、こういう事があったんです。学校へ行って、図画の時間が始まって、かばんを開けるとみんなクレパスとクレヨンを持っているんですよね。僕は何にもない。それでいやあ困った、みんな持っているのに困ったと思ったんです。この時小学校一年生くらいですよ。その時どうしたかというと、僕は忘れた、先生、取ってくると言って家に帰ったのを覚えています。嘘ですよ。忘れたんじゃないですよ。僕は買ってもらえなかったんです。子供に図画のクレパスとクレヨン買うような事、考えてなかった、恐らく。子供を学校へやるなんて思ってなかったんです。
講演「小説家の想像力」1990年2月(「熊野誌 第39号/特集・中上健次」)

 「新しい靴、もう要らんの?」という姉の声を呼び水にさまざまに欲しいものに思いを巡らす健次少年にとって、行商で生計を立てる母親にものをねだるのは、子ども心に切なく苦しいことだったろう(この時、まだ、中上健次は中上姓ではなかった。後年、母親は土木建設を家業とする中上家を再婚先として嫁ぎ、中上が大学入学を目標に上京できるほどに安定した暮らし向きに変わっていく)。


 一番上の兄が24歳で自殺したことは幾度も書かれている。中上にとって生涯最も重く、決定的な体験のひとつになった。この兄と姉3人の父親に対し、中上の父親だけが家族では異なっていた。中上の生い立ちと小説上の設定は諸作にわたって、ほぼそのまま引き写されている。『岬』や『枯木灘』の主人公・秋幸は健次そのものといっていい。『岬』では兄が自分と娘をはなれ、新しい夫のもとに秋幸をつれて走る母親フサを詰問する場面が登場する。「われら二人だけ幸せになって、他の子供のことは、どうなろうとええんか」と包丁をふるう。


 『岬』の秋幸は異父妹のさと子と自分の意志で性交する。父が娼婦に産ませ、自らも娼婦になった女だ。「この女は妹だ、確かにそうだと思った。女と彼の心臓が、どきどき鳴っているのがわかった。愛しい、愛しい、と言っていた。(中略)いま、あの男の血があふれる、と彼は思った」。中上自らがハンドルを握り、時には車を大破させながら紀伊半島の各地に残る被差別部落を訪ねるルポタージュ『紀州 紀の国・根の国物語』。こんな一節がある。「私はいまひとつこの旅が、四方に散ったわが血族をさがすことでもあったことに気づいた」といい、「実父スズキが別腹に生ませた私には妹に当たる子を熊野の小口、請川にさがしたが杳として見つからなかった。私の小説に、さと子として登場する人物である」とつづける(「天王寺」)。 


 『枯木灘』の竹原秋幸と浜村龍造の対決という構造は、中上健次が成人後にはじめて実父・鈴木留造と対面した衝撃から立ち上がっているように、事実とフィクションの、どちらがどちらだかわからないほど近接したところで、中上の小説は書かれた。だから『枯木灘』の文章は切々としていて、胸に迫る。『岬』にしてもそうだ。中上の生い立ちと深いつながりがあり、事実をゆるがせない。だから、他のものとは別格の輝きをはなつ。自分探しの小説であり、自らの成り立ち、いのちの本源に分け入っている。以降は古典と現代の生を往還する手続き、あるいは物語を食い破り、乗り超える仕事に入っていった。『千年の愉楽』や『奇蹟』もすばらしい小説だ。しかしそれはオリュウノオバという「路地」の語りべが伝聞、説話として幾重にも「路地」をあやなし、物語り、物語ることに耳を傾けられる無上の喜悦に他ならず、そこを出ない。


 「青い朝顔」の終わり近く、「路地の家の前に来て戸が開いているのを見て、また姉は立ちどまった(中略)家の方に歩きかかると開いた戸口から男が出て来たのが見えた」とある。これは今までの系譜をたどれば、おそらく健次少年の後の養父になる男が、母親と逢引きして出てきたところを姉たちが遠慮した、と読める。


 群生する青い朝顔のイメージはやはり「路地」に咲き乱れる夏芙蓉のことが思い浮かばにおれない。『千年の愉楽』の「半蔵の鳥」など、圧倒的な至福に満ちた夏芙蓉の描写を引くまでもない。芙蓉は大輪の花をつけて、夕方には枯れてしまう。朝顔も朝に咲き、夕にはしぼむ。消えゆくはかない「路地」の姿をあらわしているのがこの「青い朝顔」だろう。そして、「井戸の脇の人の顔をじっと見ているような朝顔」とは、わたしには蓮の池からこちらを見つめるお釈迦様の形象にも思えてならない。


 偶然だが、志賀直哉にも「朝顔」(昭和29年)という短篇がある。

 朝顔の花の生命は一時間か二時間といっていいだろう。私は朝顔の花の水々しい美しさに気づいた時、何故か、不意に自分の少年時代を憶い浮べた。あとで考えた事だが、これは少年時代、既にこの水々しさは知っていて、それ程に思わず、老年になって、初めて、それを大変美しく感じたのだろうと思った。

 志賀自身が植えて育てる朝顔への観察眼が光る好個の掌篇だ。朝顔は人を幼年期の記憶へいざなうらしい。


 「青い朝顔」にはもうひとつ仏教的なイメージを感じさせるところがある。


 「三番目の姉が金色の皿を地面に放り投げるように置いた時、金色の皿から虫の羽音のような音が微かに、しかしくっきりと響きだす」。中学の裏山の入り口に隠してあったのを拾ってきた、という金物拾いにつながるところだが、古来土中に経典を入れて封じた金属製の経塚、経筒のようなものをほうふつとさせる。


 むかし、新宮に中上の小説の跡を訪ねたことがある。火まつりの舞台である神倉神社の険しい石段を早朝にのぼるとだれとも会わず一番上までたどりついた。そこからのぞむ熊野灘は水道のように見え、とても近かった。傍らに巨大な自然石が屹立していた。ゴトビキ岩はゴトは神門、ヒキは蟇つまり蛙相似という意味だったか。中上健次ふうに言えば、海に向けてそそりたつ男性とも女性とも見える。記紀の時代には既に立っていた巨石の下には経典、経筒や古代の装飾品が発掘されていた、と記憶している。わたしにはただの金屑が金屑としてでなく、荘厳に描写されているところに、この短篇がもつ仏教的な無常感と奥行きを感じる。


 あらためて、「青い朝顔」の「女手一つで五人の子供を育てる母は一日中忙しい」という文章のよさはどうだろう。健次少年を見つめる作者本人の目も、二女の父親となったせいか、やさしい。そして、少年がほしいという仔犬のじゃれつく描写はどうだろう。まるで本当に仔犬が目の前にいるように書けている。少年時代のよき想いを引きずっているからにちがいない。


 結果的な短篇の遺作となった「青い朝顔」がのこされたことは、貧しいながらも家族助けあって生きていた浄福の幼年期の想いを結晶させ、美しさにあまりある。一人の作家が一生のうちに書きたい、と思えるテーマにはそうぶつかれるものではない。それは『枯木灘』できわめられた、とわたしは単純に思う。中上はたまたま「路地」の子として生まれ、複雑な生い立ちのなかで文学に出会い、長く無文字社会だった世界に光としての言葉をもたらした。ふきこぼれるように書き、閉ざされてきた「路地」から放射状に、日本だけでなく、アジアに、ヨーロッパに、物語をつなげようとした矢先、憤死した。


 その過激にして前人未踏の仕事の質量の先に、最後にそっとのこして逝ったものが、「青い朝顔」、朝顔の蕾であることに、わたしはふるえ、おののく。


 ふたたび中上健次のあの小説この小説を本棚から引っ張り出し、読み返してみたくなる。


了