●1999年から続く文化系サラリーマンたちの読書会。白水社さんを勝手に応援中です。
●メールはu_ken7@yahoo.co.jpまで。
●当ブログのコンテンツ
U研って何?メンバーこれまでの歩み活動レポート掲示板リンク集

私の「旅の時間」松浦綾夫


 あふれかえった通勤客がホームから落っこちないのが不思議なくらいの小田急線の新宿駅で、2台下りの急行列車を待って列の先の方についた。乗客を嘔き出した列車の表示が始発に変わり、ようやくドアが開いた。肩からは通勤鞄、小脇にかかえるのは吉田健一の『旅の時間』。これから私の「旅の時間」が始まるのである。


 車内に突進する人々に押されながら、あくまで人間としての品性を失わないよう前へすすむ。そのとき、私の前に中年の男が転んだようなふりをして割りこんできた。その拍子に、私は列からゴム鞠のようにはじきだされ、足がもつれ転倒した。とうぜん座れる順番だった私を助けおこす者もなく、われ先に席を奪いあう乗客がつづく。『旅の時間』がホームの地面に叩きつけられ、栞をはさんであったページがはずれた。拾いあげたが、どこまで読んだかわからなくなった。


 結局、2台やり過ごした私は座席はおろか、吊り革をとることもできず、まるで抑留日本兵をシベリアに移送した列車ほど人間を詰めこんだ車内に立たされた。


 さて、『旅の時間』を読もう。もう幾度読みかけたことか。そのたびに会社帰りの疲れで眠ってしまったり、途中まで読みかけたのに内容を忘れて最初から読み返したり、まったく先へすすまない。


 ページを開こうとするのだが、車内は混んでいる。さっきから後ろにいる男がごほごほ咳をしている。こちらの後頭部に息がかかるのもおかまいなしだ。さらに私の鼻先にはおじさんの細かく畳んだスポーツ新聞の端があたっている。そこまで図々しく本を開くのはいやだった。私のは文庫版ではなく、神保町の古書街の店先に出されたワゴンから買った単行本なので広げると面積をとる。運の悪いことに、目の前には女子高生が立っている。すぐ後ろで本を開き、角でもぶつかれば痴漢とまちがわれるかもしれない。


 しかたなく、私はからだを人間としてありえない角度で斜めによじり、だれかのipodから洩れてくる宇多田ヒカルを耳にしながら、『旅の時間』のページを繰ろうとした。ちょうど列車のアナウンスが「急行小田原行き、発車します」と告げた。車輌が小刻みにゆれだした。いっしょに文字もゆれる。


 『旅の時間』はこう書き出されている。

 この頃はロンドンを飛行機で朝立つと翌日の晩には東京の町を歩いていられる。実際に飛行機が飛んでいる時間はロンドンを朝の何時に立って東京の翌日の何時に着いたということで計算しても地球が東京の方からロンドンに向って廻転していて一時間である筈のものが刻々に縮められて行くから解らないが要するに一日を飛行機の中で過すということはその一日の意味に多少の幅を持たせさえすれば言える。それでその一日が二日になってロンドンから東京まで行けるのである。(「飛行機の中」)

 いったいなんのことだろう。新宿を出て、窓の左手に紀伊國屋書店紀伊國屋サザンシアターの垂れ幕が見える。「いてぇ」隣の男がいった。私は活字に没頭している。「いてぇ」。私に向かって言っている。無視した。「あのさ」。頭の調子の悪い人なのだろうか。「足、踏んでんだけど」。本から顔を上げると、私の革靴が隣にいた大学生風の男の足を下にしていた。「あっ、ごめんなさい」。真剣に謝った。相手は狂ったような目つきでこちらをにらんでいる。吊り革のとれない私は、腹筋に力をいれ、本を閉じた。代々木上原まではゆれる。しかたない。蒸し暑い車内のどこかで赤ん坊の泣き声がした。おばあさんが立っているのにも気づいた。だれも譲らないんだな、と思うと怒りがこみあげてきた。『旅の時間』どころではない。代々木上原についた。乗客のひと塊りが降車すると、その倍の乗客が乗ってきた。私は顔をおしつぶされ、口もとから舌が飛び出た。


 それでもめげずに『旅の時間』を目の前5センチの距離で30度の角度だけひらくことができた。そうだ、この本はなんども読みかけているし、どこから読み始めて、どこで閉じてもいい本なのだ。そう思いこむことにして、適当な箇所をあけると、こう書かれていた。

「ただ時間をたたせていられるだけでも辺りが広々して来るのにこういう絵があってそれに惹かれたりすれば時間はもっとゆっくりたって行く。その絵を写して自分のものに出来る気がすることで時間がたつのが味わえるからでしょうか」(「昔のパリ」)

 ルーブル美術館でワットーの名品を模写した男が、旅先での時間の流れ方、絵画の中の時間について、聞かれて答える場面だった、と思い出す。なんだ、前に読んだんだ。


 旅をテーマにした連作短編集『旅の時間』は吉田健一の分身ともいえるインテレクチュアルな人物が、世界各地の都市をさまよい歩き、飛行機で、バーで、隣りあわせた人々ととりとめもない知的な会話に興じてみせる。各話ごとに主人公はちがう。物語の奥に、しばしば私たちが、酒酔いのさなかにふと幻と現実が交差して、日常では感じえない深い悟達を得られる、と錯覚する、その錯覚すら疑うような心理の綾を、掌のなかで玩弄するような不可思議な小説表現がストロークの異常に長い文章に託されている。


 じょじょに読み進むうち、私は急に今日という一日、銭金の話に終始した自分の仕事と、世界じゅうをぶらぶら飲み歩く主人公の生活との落差を思い、愕然とした。残業したあげくなお残った書類の山やパソコンの周りに貼られた「至急」のメモ内容や上司に命ぜられた営業計画の見直しなどが気になり、あの損失は次の営業でどうやれば補填できるのだっけ、などと考え始めたら胸が苦しくなってきた。


 胸が苦しくなってきたのは気のせいではなく、だれかが鞄を私に押しつけていたのだ。手で押し返し、なおも『旅の時間』を読む。「成城学園前」で降りる客を窓外にみとめ、私の給料ではどうがんばっても一生縁がない高級住宅街を過ぎた。ここには大岡昇平が住んでいたっけ。今では大江健三郎がいるが、どちらも吉田健一と仕事はかぶらない。


 列車は急速にスピードを上げ始めた。ほんらい、本を読むのだけはめっぽうはやいはずの私もページを繰る手を加速させた。

 既に計器の針は二百に近づいているかも知れなくてその方に眼を向けるのが恐いのでなくてそうしなくても解ることを確かめるのが無意味だった。もし女の手と足が少しでも狂ったならば明かにそれ切りで人間が死ぬ時には幾らかでもその予感がするものとしてその予感なしでそのように走る車の中にいることは死と紙一重の状態でそこにその一重を何も破ることが出来ない或る均衡が保たれていることであり、死を冒してでなくてまだ死が来ないから誰でもがその日その日を生きているのだと山田は思った。(「大阪の夜))

 ロンドン、パリ、と始められて大阪だ。月夜のドライブの場面だ。あやしい女人との交歓がつづられる。エロスがさざめく章だ。


 猛スピードで走る小田急線の車輌がたった今、横転して高架から滑り落ちても、吉田健一が描く心理とおなじだろうか。通勤ってあたりまえみたいだけど、十年以上も鉄の函に遠距離をゆられ、無事故で生きているってことが奇跡じゃないのかとも私は思った。


 さっきからだれかがずっと携帯電話で話している。よほど注意しようかと思うのだが、姿が見えずやめている。「このまえ合コンで知りあった男、超うざくてさー」。そんな話、満員電車でするな。


 そのとき、本のあいだから一枚のメモ紙がすべり出てきた。吉田健一が書いた論考『時間』から抜き書きしたものだ。『旅の時間』(1975)と『時間』(1976)はほぼ同時期に単行本が出た。時間をめぐる小説が『旅の時間』であり、哲学的な論考が『時間』である。この二作は一対である。鉄道や飛行機といった輸送機関が発達し、国内の辺境や海外旅行を一般人が楽しめるようになったのは戦後である。さまざまな物事のスピードが変わり、時間が変質していった。そこで「時間」とはなにかを吉田は問う。理論編が『時間』で、実践編が『旅の時間』である。遅々として読み進めない『旅の時間』を読解するヒントになれば、とサブテキストとしてネットオークションで落としたのが『時間』だった。北海道の釧路の古書店から取り寄せたのだ。で、家で寝る前に少し抜き書きしたのだった。

時間が現在の持続なのだということが大事なのでそのどの一点も時間であって時間であるから現在であり、このことがあって我々は生きていて又生きていることを意識する。或は意識するかしないかで生きていたり生きていなかったりして意識するのは時間の経過、従って時間であってそこにその時間とともに過ぎて行く自分を見出すから自分が生きていることも意識する。又この持続を時間の方向からすれば遡って行くことが理解するということでもあって或る対象をそれが置かれた現在のうちに、その現在の状態で見ることでこれが生きて来てそれが生きているから我々はその通りと思う。又それが生きる喜びでもある。

 『時間』を買ったはいいが、ますますわけがわからなくなった。こんな調子の文章が経験、観念、歴史、空間といった切り口から語り始められ、『旅の時間』の作中人物たちが交わすダイアローグとどっちがどっちだかわからないような文章がつづけられる。


 列車は橋を渡り、多摩川を越えた。「登戸」。戦時中、この駅近傍には陸軍の研究施設があり、風船爆弾がつくられていた。大学一年の夏休みに私は登戸駅を根城にはじめてアルバイトをやった。家庭学習教材の訪問販売だった。周辺にある小学生のいる家の住居に印がついた大きな地図を渡され、一戸一戸ひとりで訪問していく。暑い日がつづき、一日やると、ゆうに10キロは歩き、Tシャツが汗で塩をふいた。私のルートはいつも午前中に町田の事務所で研修を済ませ、昼過ぎに多摩川の川べりに沿って歩き、昨日訪ねて脈のあった家を再訪するか、新しいエリアを開拓するかだった。宏壮な邸宅に住む子どももいれば、陽の射さない半ば崩れかかった木造家屋に住む子もいる。迷路のように複雑な巨大マンションの15階に住む子もいたし、親からそっと自閉症だと紹介された子もいた。親を訪ね、お子さんに早くから自分で勉強する癖を身につける必要があります、と小一時間も説いて教材を売りつけるのだ。が、歩合制のこの仕事、ひと夏で一軒も注文をとれなかった。私にはタダ同然のバイト代しか入らず、はじめ30数人いたバイト仲間も最後は数人に減っていた。あのとき、私は同じ小学生でも環境に差があることをまざまざ見せつけられたし、自分の手で金を稼ぐことの大変さをはじめて知った。今でも、日一日足を棒にして歩き、また注文がとれないのではないか、と心細さを胸に多摩川沿いを歩いた記憶がありあり甦る。


 「向ヶ丘遊園」についた。遊園地からとられた駅名だ。今はない。子どもの頃何度も遊びに行った。最後のほうは古めかしい遊園地になっていた。駅から遊園地のあいだまで短いモノレールが出ていた。あれはおもしろい眺めだった。もはや幻の遊園地である。


 生田駅のあたりを過ぎた。生田の丘の上には自分の家族の幸福な日常風景だけを微細に半世紀も描きつづけている私小説家が住んでいる。庄野潤三


 車内が空いてきた。吊り革につかまると眠気が押し寄せてきた。昨晩はアパートの隣室の子供の夜泣きが聞こえ、眠れなかった。隣の家には生まれたばかりの男の子がいる。明け方になると、からだの小ささからは信じられないほどの声で、泣く。あの存在の根幹からしぼりだされるような悲しい叫びはなんだろう。太古、人類が力をもたず闇に生かされていた時代、獣から身を守るため、赤ん坊は泣き声だけ大きくなったのでないか。こちらまで悲しくなる。


 私はふわふわとページを繰る。最後に収められた「航海」は冒頭の「飛行機の中」と同じく、乗り物で知りあった印象的な人物がある暴力的な事件に関わっていた、という話。もちろん紙枚の多くが美酒と美食のことに割かれていた。得意先のうちあわせがのびた今日の私の昼食は立ち喰いそばだったが。主人公の西野は特に苦労もせずに「先ず潰れそうもない会社の常任顧問という風な地位」にあり、遠洋航海の船上の人である。ひとつ前の「京都」の主人公・川西は会社で若い人にすべてまかせられる地位にいながら、用があればつい京都が好きなので来てしまう、と説明されている。ははは。仕事を選り好みできるなんて。どちらもいいご身分だ。


 窓の外は真っ暗だが、鶴川駅を通りすぎたあたりか。吉田健一とも縁の深い白洲正子が戦前戦後とずっと居を構えていた。健一の父・吉田茂の懐刀こそ、正子の夫・白洲次郎だった。次郎は英国帰りのジェントルマンらしく、カントリーライフを標榜してこの地に茅葺きの民家と田畑を手に入れ、高級外車を転がした。白洲正子吉田健一のことを子どもの頃から知っていた。正子の骨董の師匠・青山二郎も、小林秀雄も、河上徹太郎も、みんなサークル仲間のような関係にいた。


 猛烈な睡魔に襲われていた。立ったままだというのに。「町田」と駅名のアナウンス。町田の山崎団地には八木義徳という私小説家がいた。生涯貧乏な作家だった。「私のソーニャ」はいい小説だった。晩年、なぜか山田詠美が私淑していた。


 私は乗客の顔を見回した。みんな会社帰りで疲れきっていた。それは心地よい疲れとか、先に希望をもった人たちの疲労感、ではなく、ぼろ屑のように疲れた顔をもった群衆で、もはや人間の顔ではなかった。


 私の手もとから『旅の時間』がまた落っこちた。これで何度目だろう。眠かった。きっと私は『旅の時間』の登場人物たちのように、優雅で上質な時間をもつことは一生できないだろう。書痴だった学生の頃、一番嫌っていたはずの銭金の仕事に生活のために追われつづけ、残業から帰れば泥のような眠りに身を浸す。明日の朝一番からの会議や胃の痛くなるような取引先との交渉の場面が明滅した。重くなった目蓋でまだまだ遠い自分の家の最寄駅を駅名案内から探す。焦点がよく合わない。


 次の相模大野駅で乗り換えるか。ここで列車は二股にわかれる。海へ向かう江ノ島行きと、小田原経由で山へ向かう箱根行きとだ。夜の湘南の海浜に寝転がり、轟く波のなかに阿部昭を想うか。小田原へ出て、川崎長太郎の住んだ色街・抹香町で酒でも飲むか。海へ、山へ。行く先には一本の白いレールだけがつづいている。ひやりと冷たく、軋めば火花を散らす鉄路だ。私はわあわあ叫んで寝転がりたい気分だ。


 どこへでもいい。私の「旅の時間」は優雅でなんかなくていい。とりあえず、どこへでもいいから運んでくれ。そして、少し眠らせてくれないか。


 ここで私の旅の時間は中断した。