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「終わらない“20世紀”」 極楽寺坂みづほ


 たいへん欲張りな小説だと思う。「20世紀文学」的なボリュームとテーマ性、重厚さを背負いながら、なおアクション映画的な見せ場やミステリー風味などのエンタテインメント的要素もふんだんに盛り込まれている。バニング・ジェーンライトのトリックスターぶりに着目すれば、一種のピカレスク小説として読むこともまた可能だ。その猥雑さが、また、鋭利なナイフで浅く深く切りつけるようなきわめて特異な文体が、イメージとしての難解さを醸しているように見える。


 しかし、これが2つのパラレルワールドとその不思議な異常接近(ニアミス)を軸として語られた物語なのだ、とひとまずざっくり押さえてしまいさえすれば、描かれていることは実はそれほど了解困難なものではないことがわかる。「読みづれー」と思い、「何言ってんだわかんねー」と思い、「情景が目に浮かんでこねー」と思い、「でもガマンして読んでりゃそのうちわかるとこに来んだろうからとりあえずく文字面だけでも目で追ってくかー」と思ってあきらめて読んでいるうちにふと気づくのだ。あ、なんだ、今のくだりもよくわかんじゃん。わかんないような気がしただけでほんとはちゃんと言ってることもわかるし情景も目に浮かんでたじゃん、と。


 さて、そういう目であらためてこの作品を眺めたときに私が心惹かれるのは、バニング側の「世界」だ。第二次大戦でドイツが負けず、勝ち戦を延々と続けている世界。ヒトラーは役を降りるきっかけを逃し、置物同然の存在になりさがっている。もはやなんら命令を発することもなく、それが聞き届けられることもない。自分が誰であるかさえ、おそらくわからなくなっている。一歩外に連れ出せばただのみすぼらしいジジィだ。あわれを誘うその姿は、狭い地下壕に隠れているところを発見されしょっぴかれた、尾羽打ち枯らしたフセイン元大統領の姿と奇妙にダブって見える。そして、「20世紀」が過ぎ去っても、人類はあいかわらず「20世紀」的な所業を飽きずに繰り返しているのだな、としみじみ思う。


 永遠に終わることのない「20世紀」。いつまで経ってもポストモダンへと飛躍することができない近代(思えばリアル・ワールドでヒトラーが健在だった時代に、日本では「近代の超克」が真顔で提唱されていはしなかったか)。いや、「20世紀」は終わらないのだ。そしてそれこそ、「20世紀」がわれわれの世界にしかけた呪いなのではないだろうか。


 奇妙な円環構造を持つこの物語が、それ自体、私には忌まわしい長大な呪文のように見える。


Ω