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再び『黒い時計の旅』を読み始める(3週間ぶりに)


黒い時計の旅 (白水uブックス)

黒い時計の旅 (白水uブックス)


 ずっと中断していた『黒い時計の旅』を昨日から読み始める。


 なんだ。結構、面白いじゃないですか(あっさり)。


 前半は、独特の暗さに「バニング・ジェーンライト、うぜえ!」と思っていたんだけど、デーミア編に入ってから一気に読めるようになってきた。


 彼女がダンスすると人が死ぬという設定なんて、まるでトマス・ピンチョンの『重力の虹』である(『重力の虹』では、主人公が性交するとV2ロケットがピューンと飛んでいく(笑))。


 中学生なみに短絡的な理解だけど、やはり映画を学んだエリクソンだけに、彼の小説は映像的だ。それが、この小説を非常に読みにくくしている。唐突な場面展開も「絵」が見えればスムーズに繋がっていくところが、文章のために分かりづらくなる。

 
 例えば、ダヴンホール島のホテルのシーンから、一瞬にしてデーミアの父親が追っ手から逃れ、馬から列車に飛び乗るシーンに切り替わる「デーミア編」への導入部。これは映像だったらかなり格好良い場面なんだけれど、普通に読んでいると、え? 何が起こったの? という感じである。


 ここらへんについて、「映画の文法」というものに詳しい人がいたら色々と教えてください(>>内海さん、会長)。


 また気になるのは、この小説のパラレルワールド的な2重構造(WWⅡで、ドイツが①勝った世界と、②負けた世界が描かれている)。


 これについては、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』やなんかの歴史改変小説の系譜としてではなく、70年代にアメリカを席巻したテーブルトーク/ゲームブック文化の影響と考えたい(その方が何となく面白いから)。


 この小説では、バニング・ジェーンライトが窓辺に立つデーミアを見たことが、歴史が二つに分岐するきっかけとなる。しかし、なんでそれだけのことで世界史が変わってしまうのか、普通の感覚だと理解しがたい(どうせフィクションだから、という答えは無し)。


 ここはシンプルに、ゲームブック的に選択肢が二つに分かれた場面なんだなと考えた方が納得がいく。ゲームブックでは、ただ一つ単純な選択肢を間違えただけで、一気にバッド・エンディングに突き進んでいく場合がままあるから。


 そもそもゲームブックっていう形式は、極めてポストモダン文学的ではないか。ラテンアメリカ文学の傑作とされるフリオ・コルサルタルの『石蹴り遊び』も言ってしまえばゲームブックみたいなもんでしょ?(暴論だし、読んだことが無いのに言ってますYO!)


 話をまとめると、エリクソンの小説とはゲームブックや映画などのサブカルチュア的な想像力から生まれたものである、と。まあ、結論としては非常につまんないわけなんですけど…。


 以上で、今回の私のレポートとさせていただきます(嘘。ちゃんと書きます。アメリカのゲームブック文化についても、個人的に興味があるので、ちょっと調べます) 


※注1:このテキストを読み始めたのは、今年の2月の頭です。


※注2:なお読書会のレポートの締め切りは、今週の金曜日です。平日に作業ができないので、締め切り厳守でお願いします。


※注3:この小説の解読には、加藤典洋氏が『村上春樹イエローページ』でやったように、出来事を時系列順に表にしてみる作業が必要ではないか。それだけで立派なレポートのような気もします。